zeitgeist
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googleのZeitgeist2011が良い。
今年は本当に色々あった気がする。
いや、色々あったというのは気のせいで、
衝撃的なことが幾つか起こっただけと言ってしまえば
それだけかもしれない。
3月11日に医科研の食堂で見た津波の映像は二度と
忘れられないだろう。
震災にあった土地では、そこに刻まれた記憶が幾つも
失われただろう。
今回の震災に見舞われたこともまたひとつの記憶だ。
1868年の明治三陸地震の時に比べれば、現代の記録技術は
飛躍的に向上している。
不変な記憶というものは想像しがたいが、記録として残す努力は
できる。それが残された記憶のできる、失われた記憶への
精一杯の報いとなるだろう。
ウサマ・ビンラディン、スティーブ・ジョブズ、金正日。
今年はまた、多くの記憶を残した人々も他界した。
個人的には児玉清、デニス・リッチー、ジョン・マッカーシー、
伊良部秀輝、立川談志、柳宗理らも並べたい。
10月にジョブズとリッチーとマッカーシーが亡くなっているのは
コンピュータ史にとっては象徴的だろう。
個人が亡くなる悲しみは筆舌に尽くしがたいが、
それは個人とは何かがよくわからないことに起因しているのだろう。
It's quite hard to describe grief following the death of someone,
which reflects our ignorance about what is "an individual".
失われるのは思考回路だ、と犀川がどこかで言っていた気がする。
What is lost is the way of thinking, which is the line by Saikawa, I guess.
物であれば記録できるのに、物の運動や物と物との関係の、
何と記録しがたいことか。
文字、音声、映像…。結局のところ、物に落とし込まないと記録できない
不自由さ。
シナプス間隙を行き交うイオンや電子の流れの中に、
個人という幻想を見いだせる個人。
果たして私は私を認識したのが先だったろうか、他人を認識したのが
先だったろうか。
個人とは何かについて答えを出すには疑問が多すぎる。
いや、疑問が多すぎて個人とは何かに答えを出せない、だ。
there are too many questions to answer on what is "an individual".
兎にも角にも、今年もまた除夜の鐘が、寒空に鳴り響くこと百八つ。
before "you" go any further,
the bells on New Year's Eve resonate over the cold sky, counting up to 108, as always tonight.