表現
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昨日は先日の演奏会のちょっとした打ち上げだった。
テキストというものは言葉によって切り刻むことができる。
合唱では、歌詩あるいは旋律などを解釈し、別の言葉で
置き換えていくことに相当する。
(ちなみに、歌詩を歌詞と書いたり、作詩を作詞と書くのは
あまり好きではない。)
かなり雑ではあるが、料理の比喩を用いれば、
素材を切り刻むことで消化はしやすくなる。
詩や旋律をそのまま受け取るよりも、
ここはこういう意味、そこはそういう意味というように
切り刻まれていた方が、あるフィルターは通過しているものの、
理解はしやすい。
ただし、合唱とは、曲自体が一つの芸術であると同時に、
発表自体もまた別の一つの芸術である。
切り刻んだ対象そのものを提供するわけにはいかない。
指揮者によって切り刻まれた素材を、
指揮者と歌い手が協力しあって再構成することで
提供可能な一つの料理に仕上げることが必要である。
そこには既に切り刻んだ名残の大半が残っていないかもしれないが、
その破片をところどころに感じてもらうことで、
合唱団としてその素材をどのように解釈したのかを
考えてもらえれば幸いである。
今回は聞き手から概ね好評を頂いた。
よい形で再構成できただろうか。
打ち上げ前に近くを散歩していて、南高橋という橋を見つけた。
関東大震災後の復興で、予算不足のために古い両国橋の一部を
移築したもののようだ。
力学的にとても素直な構成をしている点に好感がもてる橋であった。
多田武彦の名曲「花火」に両国橋が出てくる。
南高橋に移設された両国橋が架けられたのが1904年、
東京景物詩が1913年であるから、
おそらく白秋の見た両国橋の一部が今の南高橋なのだろう。
明日は東京景物詩の景色をめぐるのもよいかもしれない。