ピダハン
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ダニエル・エヴェレストのピダハンを読み終えた。
ピダハン語の特徴のいくつかは日本語に似ていると感じた。
- 目的語が動詞の前にくる
- 語順が比較的自由である
- 動詞の活用がなく、接尾辞をつけていくスタイル
- 声調の違いが意味の区別に使われる
江戸時代には銭湯が混浴だったらしいが、
性に対して開放的である点にも共通点がみられる。
細かいことはわからないが、家族構成などにも
共通点があるのだとすれば、文化が言語に影響を
与えるという説への一助になるかもしれない。
鶏と卵であるが。
著者はリカージョンと表現しているが、
ピダハン語に従属節や関係節が見られないというのは
とても面白い。
真賀田四季の「接続詞は不要です。文脈に興味がありませんから。」
というセリフを思い出した。
川に入って行ったのと出てきたのは同じ人間なのか、という話や
ピダハンが折りにふれて名前を変え、前の名前で呼ばれても
自分のことだとは思わないという話。
意識はどうやって自らの連続性を認識しているのだろう。
記憶の連続性のみに依拠しているのであれば、
それは物理的に再現可能だろうか。
発想もまた、それまでの記憶を元にしているのであれば、
回路が実現されることで可能だと考えるのが科学的には自然だ。
自己同一性もまた、文化の影響を多分に受ける。
明日起きた後も、まだ自分は自分だろうか。