そして二人だけになった


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森博嗣の新シリーズと四季シリーズの間に 百年シリーズがあるのだが、未読であった。
まずは同じ新潮文庫から出ている 「そして二人だけになった」を読んだ。

明石海峡大橋と大成建設が出てくる。
そして建築構造の話が盛りだくさんだ。
力学がわかる人間であればある程度フォローできるだろうが、 完全にはフォローできなくても何かすごそうな感じがするだけでも よいのかもしれない。

あえてディテールをはぶけば、勅使河原潤サイドと森島有佳サイドの ストーリィが交互に展開される。
各章とも、奇数節が勅使河原サイド、偶数節が森島サイドであり、 アスタリスクでそれ以外のストーリィが挿入される。

まるで量子力学のようなストーリィ展開だったと言えば伝わるだろうか。
分離していたと思っていたものは一つになり、 一つだと思っていたものは離別する。
小説の前半は古典力学だ。
観測者も観測対象も確固たるものとして把握される。
それが終盤での量子力学の発見によって、 実は世界が重ね合わさった複数の可能性だったものとして捉え直される。
読み終えた段階で読者はこの小説を観測できただろうか。
いや、最後の最後まで現象は収束することなく、 シュレーディンガーの猫は古典的な意味で生きても死んでもいない。

奥付に初出は平成十一年六月とあるから、まだ二十世紀のころの作品だ。
兵庫県南部地震が平成七年、 明石海峡大橋の竣工が平成十年、 NYの同時多発テロ事件が平成十三年、 福島の原発事故が平成二十三年。
物語の終盤で、明石海峡大橋が竣工した後にH県南西部地震が 発生しており、特定の周波数で共振するような設計になっていたという 話はなるほどと思ったが、実際には応答解析をチェックすれば判明するだろう。
それよりも、 「これからの大規模構造物の設計でもっとも大きく、確率の高い外力はテロである」
といった話や、原子力発電の是非について勅使河原がインタビューを受ける話は、 世間(というよりもマスコミか)が五年後十年後に躍起になって取り上げた 話題をうまく挟んであり、改めて森博嗣が好きになった。
そう、この小説ではアスタリスクの節が一番好きなシーンだった。

自分の意見を一つに絞ろうとする必要はないと思います そもそも自然とは何か、という問題が一番難しい 仕事を持っている、というのは、自分でシャツを着ることができる、くらいの価値かな 教育なんていう行為が、はたして本当に存在するのでしょうか いつでもどんなときでも正しいことってあるのでしょうか