A or B
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labradoodle or fried chicken ? pic.twitter.com/wn5bdjdtDf
— karen zack is turkey (@teenybiscuit) 2016年3月3日
ちょっと前にこの種の画像が話題になった。
画像認識では画像と正否がセットになって教育データになる。
そこには、「こういうものが犬だ」というある種の正義が埋め込まれる。
犬の画像を撮ってそれを正解データとする場合と、
あらゆる画像の中から犬のものを選んで正解データとする場合とでは
何か違いがあるだろうか。
こういう画像を見せられると、後者では意図せず不正解が紛れ込む
可能性があることを痛感させられる。
前者であれば、撮影者にとっては時刻歴データが多数取得できるので、
判断が狂う可能性がかなり減るが、後者のように限られた情報の中で
選択するケースでは、その画像を用意した存在の意図が介入することで、
最終的なデータになるまでに2種類の正義のフィルタを経由する可能性がある。
犬と犬の人形の違いくらいならかわいいものだが、
世の中には唐揚げをラブラドゥードルに仕立て上げる言説も
ままみられるから困ったものだ。