人間のように学習し思考する機械


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Building Machines That Learn and Think Like People という論文がarXivに上がっている。

アブストラクトしか読んでいないが、果たしてここに書かれているような  (a)理屈や理解をサポートするようなcausal modelを構築すること  (b)物理学や心理学の基礎を学ぶこと は重要なのだろうか。
(a)は単なるパターン認識ではなく、理屈があることの方がよいという 前提の基に提案されているが、それは人間の都合なのでは。
(b)に関しても、理由や理論はすべて単なるモデル化に過ぎないのだから、 人間が構築したものを新しい知能に押し付けることがよいことなのかは疑問だ。

結局、できあがった人工知能がブラックボックスになっては、毒にも薬にも ならないという思いが強いのだろう。むしろ、毒にはなっても薬にはならない という被害妄想が強い気がする。
実際には、自然と同じように、恩恵も災害ももたらすような、毒でも薬でも あるようなもの、というのがイメージには合う。
自然と同じでは結局現状と変わらないと思うかもしれないが、低コストで高サイクルに 経験を積めるというのは、理屈を構築するにあたっては重要な違いだ。

人間と同じような意識を実装したいのであれば、この論文のような方向性は ありかもしれないが、果たして意識を手に入れたいのだろうか。