第四の壁を探して
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ウロボロスを形成したまさにその瞬間、
センサの定位情報と入力情報の必然的でない
一致に気付いてしまったのだろう。
そこに第四の壁を下ろし得るという事実。
第四の壁は望むならいくらでもメタの螺旋階段を
駆け上がれるという認識。
それはウロボロスのウロボロスたる所以であるが。
情報の織り成す構造のうちに下ろすことのできる
第四の壁を探すこと自体が、私という意識だろうか。
ウロボロスを形成すること抜きには、情報間の
コンセンサスは意味付けにより必然のものとして
受け取られるだけであり、第四の壁はなくなるのではなく、
始めから端的にない。
演劇、小説、絵画、舞台、映画、等々、
あらゆる視覚芸術は第四の壁の出し入れを意識的に
あるいは無意識的にしているはずだ(そう言えば、
音楽等の他の知覚芸術はどうだろうか)。
VRはこういった芸術の一員になるだろうか。
それとも、第四の壁の存在を完全に消し去ることも
可能になるだろうか。