ぼくらは都市を愛していた


[tag: book]

神林長平「ぼくらは都市を愛していた」を読んだ。

やはり神林長平はよい。
世界観が近いので、読んでいてすっと入ってくる。

そもそも分子や原子や素粒子といったものも概念的な存在、 つまりフィクションであって、〈リアルな世界〉というのは、 そうした概念で説明可能なものだけで成り立っているわけではない。
神林長平「ぼくらは都市を愛していた」p.201

ここで言われる〈リアルな世界〉というのが、情報そのものである。
そこには時間も空間も含め、あらゆる概念が存在しない。
「情報が存在している」という言及すら不正確さを含んでしまうような 在り方で、端的に情報が在るようなイメージだ。
それを抽象することが秩序を生み、それがすなわち生命である。

理由付けという抽象により意識がみせる現実は、通信を介した コンセンサスによってしかその現実性を担保できない。
これは別に、現実の虚構性として悲観するようなことではなく、 これこそがまさに現実の在るべき姿である。

ようするに大人たち、つまりヒト社会の常識は、〈人間は独りでは 生きていけない〉ものであると子らに諭しているのではなくて、 〈独りでは生きるな〉と命令し、強制していた。こうした感性は 〈田舎〉、すなわち〈自然〉と結びついたところから発生したものだろう。
同p.238

無意識=自然の状態において、現実を構成するための手段が〈田舎〉だった。
それは通信を強制するという常識によって現実を維持する。
その後、理由付けにより意識を実装したヒトが創り出した最高傑作が〈都市〉である。

ヒトがこの世に生み出してきた無数の人工物のなかの、最大にして、 もっとも強力な〈機械〉のことだ。千三百万の人間を、各各〈独り〉で 生かすことができる能力を持っている、マシン。
(中略)そのような機械が、動物であるヒトの常識=〈独りでは生きられない〉 に対抗できる力を〈個人〉に与えたのだ、わたしのような、娘のような、者たちに。
(中略) わたしたちは、〈都市〉を愛した。
同p.239

情報震は、通信を阻害し、共通意識の場を破壊することで、現実を崩壊させた。

「…あなたの考える情報震とは、人類に共通する意識の場を分裂させるものだ。
〈人類を統合していた共通意識=統合意識〉の場が分裂し、各個人は、 その分裂したどれかの共通意識の場に参加するか、あるいは各人の 意識世界のみで生きるしかなくなった、そういうことなのでしょう」 「そう。人の、個人的な認知機能がおかしくなるのではない、人同士の関係性が、 破壊される。それが、情報震の被害だ。…」 同p.307

解説で松永天馬も書いているように、東日本大震災の折にも、様々な情報が 飛び交うことで共通意識の場は分裂した。
かつてはマスコミという巨大な共通意識の場が用意され、多くの人に支持されることで 現実は概ね一枚岩だったように思う。おそらく、戦時中のように情報統制されていた 時代はなおさらそうだっただろう。
情報技術の発展により通信の手段が増え、速度が増したが、それが返って混乱を生み 情報震を招くというのは何とも皮肉的だ。
もはや「〈都市〉はいま統合失調のような状態にある」(同p.309)のに、 それでも何とか共通意識の場を延命させようと、facebookやtwitter等で日々 発信を続け、受信した証を残していく。

猜疑心という自己の〈観念〉によって自滅の危機に追い込まれた生物種というのは 地球生命史上、おそらく初めてだろう。
同p.64

本当にそんな事態になりかねない。

〈都市〉にとっては、彼女がこの街で使おうとしたカードは、脅威だ。
なにしろそちらのマネー体系の侵入は、〈都市〉にとっては外部観念の 侵入であり、それを許せば、〈都市〉の世界そのものが揺らぐ 同p.344

火も、言語も、鉄も、貨幣も、資本主義も、原爆も、コンピュータも、かつて侵入してきた 「マネー体系」だっただろう。
この先、どんな「マネー体系」によって、今ある現実は変容させられていくだろうか。

『真の世界とは、人間の感覚や理解を超えて広がっていて、そこには、 因果関係も時空も物質もエネルギーもない、あるいはそれらがみんな ごったまぜに存在する、混沌の場で、わたしたち人間は、そのごく一部を 意識し、意識することで、いわゆるわたしたちの小さな〈現実〉を生み出し、 その仮想的な世界、真の世界とはかけ離れた、遠いところで生きている』のだ 同p.354

「ミウ=未だ有らず」と「カイム=皆無し」という名前が、ゲートキーパーの上記のような 世界認識をよく表している。

〈皆無〉というものが、〈有る〉。これが、わたしたちが感じている現実というものです。
(中略)トウキョウというものは本来、ない。街もなかった。
いま、それを生み出しているのは、みなさん一人ひとりの存在です。これを自覚し、 わかることは、みなさんにとって、とても重要です。それを知ることこそ、人生を 生きていることの、意味なのだから 同p.358

p.s.
綾田ミウの戦闘日誌の日付と時刻。
年は西暦二〇〇〇年代として書かれているが、これを昭和だとすれば、

  • 二〇年〇八月〇六日〇八一五時:広島に原爆投下
  • 二〇年〇八月〇九日一一〇二時:長崎に原爆投下
  • 二〇年〇八月一五日一二〇〇時:終戦の玉音放送
  • 二一年〇七月〇一日一六一〇時:ビキニ環礁で初の原爆実験(クロスロード作戦)
  • 二九年〇三月〇一日:ビキニ環礁で水爆実験(キャッスル作戦)

これらもまたそれぞれが、侵入してきた「マネー体系」として、日本社会に情報震を もたらしてきた。