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昨日は披露宴の余興で中島みゆきの「糸」を歌った。

曲紹介を頼まれたので、改めて歌詞を見てみて思ったのは、 この曲も理由付けと意味付けの対立として理解できるな ということだ。

この曲は1番も2番も「なぜ」という問いかけで始まり、 いずれの問に対しても解が与えられないまま、 最後には「逢うべき糸に出逢えることを人は仕合わせと 呼びます」として、ただ事実がよいということだけを 示して終わる。

問を立てながら、解を与えず、理屈抜きによいものを 提示するというのは、理由付けに対する意味付けの 優位性を語っていると言える。

人間は何事にも問を立てては理屈を与えるということが 好きであり、それが意識そのものとも言えるが、 究極的によいものというのは、自然=無意識=意味付け によって得られるのである。