役に立たない
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「日本に必要なのは、社会全体でサイエンスを支えるという意識」 - 東工大・大隅良典 栄誉教授
私はこのごろ、そういった質問に対しては「役に立ちません」と答えたほうが 正しいのではないかと考えるようになりました。
という大隅先生の言葉、私は森博嗣を読んで最初にその考えに至った。
なぜ勉強しなければならないかと反語的に訊かれたら ・「どうして意味がなければいけないのか。意味がないことが贅沢なのだ」 ・「うるさい、勉強中だからあとで」 と答えられるようでありたい。
An At a NOA 2011-01-07 “もし子どもがいて”
そうやって世界をモデル化して得心しようとする行為の、 何と役に立たないこと。
そこに意味を見いだせるとは、何と人間的だろう。
An At a NOA 2011-12-08 “numerical models”
ただひたすらに、意識自ら理由付けを施し、世界を「理解」する。
生活する上で役に立たないと言われることに価値を見いだせることが
最も人間らしい側面に見える一方で、そもそも抽象によって情報に
秩序が生じること自体がもうほとんど生命と同義だという点で、
あらゆる意味付けと理由付けは、等しく生きることに直結している。
「役に立つ」って何なんですか。
(いかんな、酔っている。)
それはそうと、「理解」という語は理によって解きほぐすと書き下せる。
理由付けという抽象によって情報を圧縮する行為が、何故
解きほぐす行為として把握されるのだろうか。
それは、人間の意識の大本に、大いなる原因を設定したいという
欲求が存在することを示唆しているように思われる。
理由付けは常に投機的に施され、それが大いなる原因の候補、
つまりは神の候補者となる。
その投機の度合いが理由付けの積層とともに低減することで神が解体
されていく過程が、解きほぐす過程として把握されるのかもしれない。