すばらしい新世界


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オルダス・ハクスリー「すばらしい新世界」を読んだ。
光文社から出ている黒原敏行の訳を読んだことはあったが、 表紙に惹かれて大森望による新訳版を買ったので。

伊藤計劃「ハーモニー」、貴志祐介「新世界より」が好きなので、 当然というか、オリジナルとも呼べるこの本も大好きだ。

しかしそれは、安定のために支払うべき代価だ。
幸福か、芸術か。どちらかひとつを選ばなければならない。
オルダス・ハクスリー「すばらしい新世界」p.306
アルファだけの世界は、かならず不安定で悲惨なものになる。
同p.308
労働者のためだよ。
余分な余暇で彼らを悩ますのは、まったく残酷きわまりない。
同p.311
なんらかの理由で自意識と個性が強くなりすぎて、共同生活に 適応できない人たち。まともな生活に満足できない人たち、 独自の考えを持っている人たち。要するに、だれもがそれぞれ 個性を持つ人間ひとりひとりなんだ。
同p.315
しあわせをなんの疑問もなく受け容れるように条件づけされて いない場合、しあわせは、真実よりもはるかに苛酷な主人になる 同p.315
社会という車輪を安定的にまわしつづけるのは、万人の幸福だ。
真実や美に、その力はない。そしてもちろん、大衆が権力を握ったとき、 問題になるのは真実と美ではなく、幸福だった。
同p.316
だから、哲学とは、人間がろくでもない根拠で信じていることに、 それとは別のろくでもない根拠を見つける学問だよ。
同p.325

アルファからイプシロンが共存する安定した文明を笑えないのと 同じ程度に、アルファだけを集めたキプロス島も笑えない。
かと言って、ニューメキシコ州の保護区にも戻れないだろう。
しかし、ハクスリーが「島」という抜け道を残したことで、ディストピア 小説でありながら、完全には絶望的になっていないように思える。
伊藤計劃による、意識という理由付けの強制停止というエンディングに比べれば。

バーナード・マルクス、 ヘルムホルツ・ワトスン、 ムスタファ・モンド、 ジョン。
真実としあわせを天秤にかけ、 真実を選んだ者、 しあわせを選んだ者、 あるいは天秤にかけることを許されなかった者。
この中で、最も理由を気にしているように見えるのが ジョンであるということが、最大の皮肉だろう。

自分は、島に行くことを拒否したムスタファ・モンドであることに 耐えられるだろうか。

それからため息をついて、心の中でつぶやいた。
しあわせのことを考えずに済んだら、どんなに楽だろう!
同p.244

あるいは、島に行くことに耐えられるだろうか。

僕は不幸になる権利を要求する 同p.333