役に立つか?


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人文学は何の役に立つのか?」という記事を読む。

研究や学問というのは、観察から生じた問いに対して その理由となる仮説を立て、観察との整合性を検証する ことによって理由の妥当性を確認する一連の過程である。

もし観察が完全に一人の人間にしか関わらないのであれば、 その理由を共有することもないだろうが、ほとんどの場合、 観察は複数の人間が関わるので、論文等の形式でその理由を 共有することに意義が生じる。
ある観察のどこに疑問をもち、それにどのような理由を当て はめ得るかという情報を共有することで、ある集団に所属する 人間が共通の物語を生きる可能性が生じる。
それが、「役に立つ」ということなのではないかと思う。

問いあるいは理由のいずれかが受け入れられないからといって 「役に立たない」ことにはならないし、それと同じくらい確かに、 「役に立つ」か否かが研究や学問に全く無関係ではいられない。
問いや理由が他人と共有し得ないと予断するなんて、あまりに 悲観的すぎるように思う。

どこで読んだのか失念したが、研究者には「何の役に立つのか」 と聞くのではなく、「どこが面白いのか」を聞くとよいという 話を思い出す。
研究者はもっと、どこに疑問をもって、どんな理由を発想したか ということを、嬉々として話せばよいのだと思う。
そして、聞く側も同じように問えるようであって欲しいし、 そうありたいと思う。

そこからまた、次の「役に立つ」ことが生まれるはずだ。