義務教育


[tag:]

義務教育は、心理的身体層における通信プロトコルを 共通化するためのインストーラのようなものだ。

眼や耳、鼻、皮膚といった物理的身体層のプロトコルは、 ハードウェア特性として埋め込まれている。
眼であれば400nm〜800nm付近の1オクターヴの電磁波、 耳であれば20Hz〜20000Hz付近の10オクターヴの音波、 といった具合だ。
心理的身体層のプロトコルは、音楽や言語等、多岐に 渡り、親子や友人といった様々な関係における通信に よって次第に形成され、常に変化している。
プロトコルは通信するノードの集団ごとに共有されて いれば十分であり、家族内でしか通じない言葉や、 民族内でしかわからない音楽は発生し得る。

国家を集合として成立させ続けるにあたって、 通信プロトコルを維持するための試みが義務教育の 目的の一つであり、そこでは教師から生徒への通信 プロトコルの伝授や、生徒間での通信プロトコルを 用いた通信の実践がなされる。
具体的な個々の知識はもちろん蔑ろにできないが、 むしろ大事なのはそれらがどのように位置付けられて いるかを知ることで、ある発信がどのようなものとして 受信されることが期待されるかを共有することが、 義務教育の要なのではないかと思う。

国家を閉じた集合とみなせなくなり、新しい通信主体 として外国人を想定する必要が生じたことで、義務 教育に英語が導入されたように、プログラミング教育を 導入する意味は、通信自体の変化や通信主体の追加に 伴う通信プロトコルの変化への対応という文脈で捉える 必要があると考えられる。

プログラムは書いたとおりにしか動かず、こう動くように書いた という想定と、こう書いてあるように動いたという結果のズレ であるバグのすり合わせは、一種のコミュニケーションであり、 それがプログラミング教育の目的になり得る。
An At a NOA 2017-05-19 “構文糖衣

義務教育によって共通の構文糖衣を着せられることは、 果たして統制として糾弾されるべきことだろうか。
しかし、それは集団を成立させることと表裏一体であり、 集団の中の人間として生きる限りにおいては、何らかの 構文糖衣を身に纏うことからは逃れられないように思う。