貨幣論
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岩井克人「貨幣論」を読んだ。
熱力学第二法則が成立するのであれば、更新される秩序
としての生命は、自身の秩序の更新を維持するために、
常に自分以外の秩序を解体することになる。
肉体が、摂取したものを消化した上で再構築するように、
精神もまた、知ったものを理解した上で自らを再構築する。
「価値」は、その生命が解体できる秩序に見出される。
商品を貨幣に置き換えることは、価値として見出された
秩序が、その生命以外によって解体される前に、時間を
止める過程である。
貨幣にある種の「固さ」が必要とされるのは、商品よりも
エントロピー増大の可能性が小さいことが、時間を止める
ことにつながるからである。
貨幣にはある種の「固さ」のようなものが必要とされる。
かつては金の酸化に対する強さだったのが、国家の揺るぎなさや 個人の信用、果ては暗号解読の困難さにまで変遷してきた。
An At a NOA 2017-03-07 “シャッター街とショウルーム”
貨幣が貨幣であるのは、貨幣と商品の間の宙づりの循環論法
であるとしても、無限に循環する貨幣形態Zにおいて貨幣の
位置を占めるには、耐久性と呼ばれる、エントロピー増大に
対する「固さ・難さ」を有しなければならない。
貨幣は、他のモノに比べてエントロピーの意味での時間の
流れがゆっくりであることで、相対的に流動性を獲得する。
貨幣がより流動的になろうとすればするほど、あらゆる秩序の
解体から遠ざかり、モノとしての価値はなくなっていく。
貨幣共同体そのものもまた、更新される秩序であり、
壊死の象徴であるゲマインシャフトと瓦解の象徴である
ゲゼルシャフトの間で、常に循環し続けなければならない。
貨幣共同体の壊死とは、売ることの困難である恐慌であり、
瓦解とは、買うことの困難であるハイパーインフレである。
資本主義にとって、恐慌ではなくハイパーインフレが危機で
あるのは、壊死よりも瓦解が免れ難いものであるということ
であり、それは人間が物理的身体を有していることと関係が
あるように思う。
物理的身体が更新し続けるには、貨幣の流動性が有効である
一方で、流動性そのものは更新に寄与しない。
流動性選好が卓越した恐慌の究極は、壊死した貨幣共同体
という近代的ユートピア=ディストピアであるが、そこでは
物理的身体が生きられないために、貨幣共同体は壊死を免れる。
それとは対照的に、流動性以外の欲望の二重の一致の困難を
回避する手段が見つかれば、資本主義はハイパーインフレに
よる瓦解を免れられえないだろう。
言語や意識もまた、貨幣と同じ構造をもっているのであれば、
そこでもまた物理的身体が「価値の錨」となっているはずだ。
貨幣共同体、言語共同体、意識共同体のいずれにしろ、
壊死と瓦解の間に留まるための錨として、物理的身体に
相当するハードウェアを必要とするように思う。