〈危機の領域〉


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齊藤誠「〈危機の領域〉」を読んだ。

「専門家specialist」が誕生したのは近代以降だろうか。
generalな個人はspecialな専門家へと分化され、専門家は、 各自の専門においてのみ、責任を負うことによって自由を 手に入れる、という構図が出来上がる。
膨大な情報の中から、何らかの判断基準に基づいて同一性 を見出すことで情報量を減らすという「理解」や「判断」 の過程を効率よく実行するには、専門分化という戦略は とても有効だと言える。

しかし、情報を欠落することが「理解」や「判断」である 限り、そこには常に、欠落した情報に応じた〈危機の領域〉 が存在し、その領域を覗くには、その「理解」や「判断」 が基づいた判断基準、すなわち「理由」が必要になる。
「理解」や「判断」の結果にはアクセスできるのに、 「理由」にはアクセスできないという事態が生じると、 リテラシーが失われてしまい、突如として直面することに なる〈危機の領域〉において破滅的な状況を迎えるのだと思う。

専門分化によって高度に効率化した体系がもたらす恩恵に 与るには、同程度に高密度なコミュニケーション=熟議に よってリテラシーを維持しなければならない。
熟議によって「理由」を共有し、リテラシーを維持する ことが、〈危機の領域〉に直面したときの納得や、「判断」 の時間整合性につながるのだと思う。

もし熟議が効率を低下させるのだと言うのであれば、その 効率は破滅をもたらすほどの高さに達しており、専門分化 はもはや一種の虐殺器官になっていると言える。
専門分化の発達と熟議の不足という不均衡は、資本主義に よってあらゆるものが資本を介して「消費」できるように なったことで生み出されたと言えるだろうか。

自分の専門である建築構造からすれば、2章から4章の例は どれも身近であったが、高度に専門分化した現代において どのように〈危機の領域〉と向き合うかという意味では、 具体例が身近であるかどうかに関わらず、抽象的にはすべての 人間にとって身近な問題として受け取ることができるはずだ。