三様


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駱駝の駱駝たる所以は一つの荷を一途に背負い続けることにあり、獅子の獅子たる所以は駱駝からの逸脱にある。

重荷を背負っていることに気付かないでいる、自覚のない駱駝。むしろ重荷を背負うことに誇りを覚えてすらいる、満足した駱駝。獅子に倣うことこそが獅子だと勘違いしている、獅子の顔をした駱駝。駱駝たちは、各々が各々に各々の荷を背負い続けようとする。

その傍らで、時折獅子が吼える。その逸脱の咆哮を、創造と犯罪のいずれとみなすかは獅子ではなく駱駝が決めることであり、逸脱の創造性と犯罪性は表裏一体であるにも関わらず、駱駝は創造性だけを掠め取ろうとする。駱駝にとっての創造性のみを取り出せるという幻想に加担し始めた獅子は、既に獅子ではなく駱駝であり、もう咆えることもないだろう。

獅子の咆哮を聞いて、その荷を背負い続けるもよし、一度荷を下ろして新たな荷を背負うのもよし。いずれにせよ、獅子が吼え、駱駝が重荷に対する決意を新たにすることで、群れは生き永らえる。獅子の咆哮に耳を閉ざしたり、獅子の存在に目を瞑ったりし始めたら、群れは壊死へとまっしぐら。獅子の生まれない駱駝の群れはユートピア=ディストピアである。

この駱駝と獅子のあいだを自在に行き来できる童子はいづこか。