まだ照り初めしもみじ葉の


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ふと堂に入れることに気づき、 人気も少ない暗闇の中、堂の戸をゆっくりと開く。
既に夜も深いので、堂の内外での明暗の差はない。
敷居を慎重にまたいで、静かに戸を閉める。
ふと見上げると暗闇に浮かぶ黄金が現れる。
仏のようであるが名はわからない。
伏し目がちに正面まで歩を進め、その名を確かめる。
ゆっくりと見上げた先には、想像したとおりの、 だが温かいようで同時に薄ら寒い薬師如来像の顔が浮かんでいる。
2015年11月3日、齢二十八も半ばを過ぎて初めて、 恐れという感情がどのようなものであるのかを体感した。

朝は予定通り5:30に起床。
その後はスムーズにいき、チケットをとっていた新幹線よりも 一本前のものにして京都へ向かう。
車中では先日友人に勧められた森敦の「月山」を少しずつ 読み進める。
翌日に守山への出張が入ったため、急遽京都に前泊することにした。
久々の観光旅行である。一人旅はちょうど一年前の京都以来かもしれない。
土日に調べて瑠璃光院と蓮華寺に行くことを決めた以外は特に決めていないまま 京都駅についてしまった。
とりあえず荷物を軽くして烏丸線国際会館駅から大原方面のバスで 八瀬の辺りへ。
バス停から案内を頼りに瑠璃光院に向かうが、同じバスから降りた ご夫婦以外は人がいない。本当にマイナな観光地のようだ。
瑠璃光院は山の斜面にそのまま建てたようなお寺で、高低差を利用して 幾つかの堂が建っている。
上から順にということで、瑠璃の庭を2階→1階の順に見た後で、 臥龍の庭を見ることになる。
紅葉はまだまだ盛ではないが、人もそれほど多くなく、 きれいな景色をゆっくりと見られるのがとても良い。


瑠璃光院を出たところで、延暦寺か大原の方へ向かうことを検討するも、 やはりそのまま蓮華寺へ。
蓮華寺は瑠璃光院以上に人が少なく、拝観料も安いというのに、 庭の美しさは瑠璃光院に引けをとらないくらいであると思う。


瑠璃光院と蓮華寺を見たままに撮れたら写真をやめてもいいと 書いている人がいたが、その気持ちもよくわかる。
いつか紅葉真っ盛りのときに訪れたいものだ。

蓮華寺を見終えた段階で12時過ぎ。早くも予定が終わったので 次の目的地を探す。正直この2箇所がまわれただけで 今回の京都旅行は大満足である。
秋の特別拝観をやっている中で近場ということで 慈照寺に決めてバスで移動。バス停を降りた辺りから 不穏な空気を感じるが、とにかく入り口まで行ってみる。
しかしというかやはりというか、案の定観光客が多く、 先ほどの2箇所とは全く違う雰囲気に、入って早々見る気が失せる。
写真を撮る気もなくなりかけていたが、慈照寺と言えば 建物よりも砂の庭だというイメージが強かったので、 そちらに集中する。慈照寺の波は見事だ。


結局特別拝観は予約が一杯で夕方まで待つようだったので諦め、 哲学の道を南行する。
あてもなく哲学の道の果てまで来た段階で、 去年結局行けなかった東福寺に行こうと思い立ち行動開始。
しかし、ここまで来てメジャーどころにいくのもどうなのかと思い始め、 いろいろと検索すると光明院というお寺がよさそうだという情報が。
そしてまたしても東福寺を諦め、日暮れ時の16時前に光明院に到着。
昭和時代に設計された比較的新しい庭園とのことで、 ところどころにモダンな感じが感じられなくもない。
個人的な違いとしては、朝の2つの庭は間違いなく横位置で撮りたい庭で あるのに対し、この庭は縦位置の方が納まりがよいと感じる点だ。



今回の京都旅行は、今まで訪れたことのないマイナなところをまわり、 フレーミングされた庭を落ち着いて眺めることが多かった。
畳、障子、欄間によってフレーミングされた庭を、 さらにファインダでフレーミングするというのは何か不思議なものである。
そういえば、ファインダというのは森敦が言うところの倍率1倍の望遠鏡たりうる。
90mmを構えている時にどうも違う感じがするのは、 換算135mmという焦点距離が、私の現実に接続しないからなのだろう。
かといって換算35mmの23mmもちょっと違う気がする。
換算50mmが仮に倍率1倍のレンズだったとして、それによって切り取る写真は 他のレンズの場合と何かが違うのだろうか。

そんなことを考えながら京都駅からホテルまで歩く。
強烈に腰が痛く、一刻も早く休みたいのを耐えながら。
大浴場で一休憩後、晩ごはんを終えて東寺の夜間ライトアップへ。
ISO1600で撮っても黒がちゃんと締まってくれるあたりはさすが富士フイルムである。
ライトアップされた五重塔は、闇夜に変に浮かび上がり、 もはや何かの模様のようでもある。



そしてオープニングの金堂へつながる。
期間が始まって間もない東寺のライトアップは人も車もまばらで、 臨時駐車場のあたりは星がよく見える。
東の空に上がり始めた冬の大三角を見上げながら、 恐れを噛みしめて帰路についた。