自動車事故


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Googleの自動車が初の事故を起こしたようだ。
MIT technology review の記事

以前の記事で触れたが、こういった場合の事故の責任は 誰に帰せられるのだろうか。

記事中程で、

Google said in a statement that it shoulders “some responsibility” for the accident.

の一文があるが、今回は開発者と所有者が同一視できるので、 現状の自動車事故と同じ取り扱いで納得がいくだろう。

だが、将来的には 開発者はGoogle、所有者は一般人、事故時に乗っていたのは所有者の子ども、 というような状況も起こりうるだろう。
こういった事故に対して、いちいち開発元であるGoogleが責任を負うようなことには なるはずがない。上記のsome responsibilityは、所有者あるいは同乗者としてのものだと 考えるのが自然だろう。
別の例だと、所有者はタクシー会社、同乗者はタクシー客のみ、ということも 十分あり得るわけだから、基本的には所有者が責任を負うという方向になるだろうか。
難しいのは、同乗者がどの程度制御に関われるか、というところだ。
行き先の設定、複数のルート候補からの選択程度なのであれば同乗者の責任問題は 起きにくいが、何時までに着くようにであるとか、急いでくれといったような要望ができる場合や、 ハンドルやアクセルでの操作に切り替えられるような車種だと、同乗者に全く責任がないと 言えるかが難しいことも起きるだろう。
もちろんブレーキですら不要な操作をすると事故の元になるのだから、事態は複雑である。
極論として、走行中にエンジンを切ることができる立場にあり、実際に切ったことで 事故に至ったのだとしたら、客観的には同乗者の責任だと考えるのが自然だ。

しかし一方で、走行システムがクラッキングされた場合に備えて、同乗者が安全に下車できる 仕組みを作っておくことも必要だと考えられる。普通に考えるとそのためにはやはり 自動運転システムからは独立した制御系を備えておく必要があるので、 航空機のブラックボックスのようなものを搭載し、事故時に誰が車を制御していたのかを 解析することで所有者と同乗者の責任の割合を決めるような仕組みにするのがよいのかもしれない。

そういえば、例えば7才と10才の兄弟だけで乗るというような状況も起こりうるが、 こういう事態に法的な規制がかかるだろうか。あるいは、開発元のマニュアルに、 何か制限が付されるだろうか。
そもそも、エンジンをかけるのにはキーが要るという点は変えないだろうから、 そのあたりは所有者の裁量に任されるのかもしれない。
(キーは物理的なものではなく、スマートフォンのようにGoogleアカウントにひも付けされた パターンロックや指紋認証になるかもしれないが)

というかエンジンをかけるという動作をユーザが意識することはもはやなくなるだろう。
セキュリティはドアの開閉と制御系への指示の大きく分けて2つに対してかかってくるだけだ。
自家用車としては、家族の誰でも指紋認証でドアの開閉ができ、大人であれば自由に 行き先が指定でき、子どもだと行き先は限定される、というような運用ができるだろう。
行き先を制御系に入力する段階では指紋認証あるいは声紋認証でアンロックするのだろう。
タクシーのような不特定多数が乗り降りする場合は、客が中にいない場合は初乗り運賃を 先払いすることで誰でもドアを開閉でき、行き先は自由に指定可能、降車時は料金を支払うことで ドアがアンロックされるという仕組みになるのが自然だ。
バスだと、行き先が固定になっていること以外は概ねタクシーと同じだ。

現代で言うところの交通違反の取り締まりは、全ての車が自動運転されるようになっても 行われるだろうか。その時代には、交通安全に対する比重は、実際の運行時よりも車検の方が 遥かに大きいだろう。運行時の取り締まりも、もはや路上でやるよりも、ネットワーク上で クラッキングを監視した方がよっぽど効果的だ。
白バイで暴走した車を物理的に追いかけるより、暴走した段階で開発元から警察に アクセス権が譲渡され、電子空間で直に制御系に干渉した方が早くて安全だ。
(何だか電脳ハックみたいな話になってきたな) 「秋の全国交通安全運動」という言葉も、時代遅れになっていくのかもしれない。

無人で走るというケースも、特にタクシー用車で一般的にみられるだろう。
自動車で出社し、電車で帰らなければいけないとき等は、自家用車でも無人で家まで 行くような指示がされるかもしれない。
ふと道路を眺めた時に、無人の自動車ばかりが行き交い、信号待ちをしている車にも 誰一人乗っていないという光景が、さながら地獄絵図のように想像されてしまうのは、 私が現代人だからなのだろう。