労働価値のコンセンサス


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人工知能・ロボット時代に人間はどんな職業を選ぶべきか

記事の題名からすると「はい、はい」という感じなのだが、 最後まで読んでみると、なかなかどうして悪くない。
労働倫理の書き換え、という部分にどのくらいの人が 共感できるのかは不明だが、ともかくもこういった論旨の 議論が増えていくのは個人的にはよいことだ。

労働をつくるために労働をする状況はいかにも滑稽だが、現状は それに近づいていないだろうか。
その原因は、資本主義だけなのか、労働価値のコンセンサス自体なのか。
共産主義の失敗は労働価値を捨てきれなかったことが原因なのではないか。

労働価値が勤労の美徳というコンセンサスに支えられて いることは、決して幻想として切り捨てることはできない。
むしろそういったコンセンサスを成立させ続けることが 意識であり、社会であり、その同一性を担保する。
コンセンサスの急変はそういったものの崩壊につながるため、 変化は緩やかにしか起こせない。

例えば100年後、労働に縛られることもなく、ベーシックインカムのもとで 生活できるように変化したとする。
豊かな生活を営んでいるという自覚をもった人々が、21世紀初頭の世界の 状況を学び、スイスでのベーシックインカムの否決等の事例を知ることで 当時の人間を憐れむことは容易だろう。
しかし同時に、その「22世紀初頭の豊かな」生活を、今の人間が 仔細に知ることができたとしたとき、それを憐れむこともまた容易だろう。
お互いにそれを嫉妬とみなすことも可能だが、真理と同様、 豊かさもまたコンセンサスによってその意味が形成される。

働かなくても生きていける反面、必要以上の所得にありつくためには 激しい競争を勝ち抜く必要がある生活。
その世界では、多くの人間は何もする必要がなくなる。
何もしなくてよいというのは、如何にして行動をし続けるかを目指して 形成されてきた判断機構=意識に対する、究極の試練となるように思われる。
さて、100年後の意識のあり方はどのようなものだろうか。