作用


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ユクスキュルの「生物から見た世界」は読んだ記憶が あるのだが、いつ頃どんなきっかけで読んだのかは あまり覚えていない。

ユクスキュルが同書で提唱した環世界は、知覚と作用からなっている。
無意識や意識というものを、センサへの入力情報に対する 意味付けや理由付けという抽象過程として捉えることで、 ユクスキュルが言うところの機械操作係にあたるものを 想定することなしに、知覚の部分は説明できると思われる。

では、作用の方はどのように捉えるべきか。

無意識や意識が、機械操作係として先行して存在し、 外部に対して作用するという発想を棄却したい。
知覚にせよ作用にせよ、機械操作係というものは 無意識や意識が成立した後で、振り返って自らの先取制を 訴えるようなもので、どうもいちゃもんをつけている感が拭えない。

位置、方向、形状、特性等の、センサのプロパティの変化が作用である、 と捉えることは可能だろうか。
そもそもセンサ自体、情報を出力しているはずであるから、 情報の出力を作用とみなすのが素直かもしれないが、その出力情報は センサのプロパティ変化に帰せられるのではないかと思う。

プロパティを意識が変化させているとみなすと、機械操作係が誕生して しまうが、それは知覚の場合と同様の後出しである。
そうではなく、センサのプロパティ変化が、実装された意識にとっては 外部に作用しているように感じられる、という解釈が成立するか、 という問を立てたい。

そもそも、知覚と作用とを切り分ける必要はないのではないかという気も、 してこないでもない。

p.s.
amazonの履歴を調べると、K.ローレンツの「攻撃」の3ヶ月後に 「生物から見た世界」を購入しているので、たぶんそこからのつながりだ。
さらに、「攻撃」は貴志祐介の「新世界より」の影響のようだ。
書籍の購入履歴が残っていると、興味の変遷がわかって面白い。