社会らしさ
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広島平和記念公園の『ポケモンGO』スポット削除で「平和」とは何か考えさせられた
平和が「たった一つの正義を通すこと」になってしまうことの先には、
いつか意識が不要な世界が待っている。
augmentされた現実、あるいはvirtualな現実までいかなくても、
人それぞれが意識をもち、少しずつ異なる現実を生きている限り、
唯一の正義というものは成立し得ないはずだ。
それは、「社会心理学講義」の中で、
犯罪と創造は多様性の同義語であり、一枚の硬貨の表裏のようなものです。
小坂井敏晶「社会心理学講義」p.269
犯罪のない社会とは理想郷どころか、(中略)人間の精神が完全に圧殺される 世界に他ならない。
同p.270
と書かれていた問題だ。
しかし同時に、
正しい答えが一つしかないと信じるからこそ、(中略)安定した規範が 生まれるのです。
同p.236
ともあり、集団は真理抜きには成立し得ないことも確かだ。
社会のコンセンサスとしての真理あるいは正義の卓越により
多様性が失われる様は、無意識的な動きの意識的な抑制が
人間らしさにつながることと、どこか似ている。
人間が構成する社会にもまた、社会らしさというものがあるはずだ。
それは、人間らしさとのアナロジーで言えば、多数の意識が
各々のコンセンサスに従って振る舞いつつ、社会全体のコンセンサスが
その行動を適度に抑制することによって得られるのだろう。