augmented


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この問題は極めてデリケートだ。

このところ話題になっている2つのニュースがある。
一つが、「ポケモンGo」というARとRealityの干渉。
もう一つが、相模原の障害者施設での襲撃事件。

前者について。
歩きスマホや道路交通法違反はゲーム自体ではなく 利用者自身の問題なのでおいておくとして、 最も関心があるのはゲーム内の位置情報とRealityの それとの干渉だ。
各所からポケモンが出現しないように、という要請が Nianticに送られているらしい。
Realityにおけるルールを完全に守ったとしても、 augmentされていない人には見えない何かが 見えている人達が集まることは、それ自体が脅威に なり得るだろうか。

後者について。
自首した容疑者の考えを知るには、こちらでは真偽の 判定のしようがない各報道に拠るしかないし、そもそも 当人ですら曖昧なのかもしれないが、障害者に対する 差別意識が原因ということのようだ。

上記2つのことに共通するのは、以前ASIMOの件でも 書いたような、「共有されない知覚」であると思われる。

それを周囲から観察したときに覚える違和感というのは、知覚の共有を 行えていないという疑念に近いものではないかと思う。
そして、おそらくだが、近代はそれを精神病と呼び始めたのだろう。
コンセンサス=知覚の共有が意識あるいは社会等のことなのだとすれば、 これはある意味で防衛である。
An At a NOA 2016-06-08 “共有されない知覚

人間誰しも、どこかしらセンサ特性は異なる。
それが個性につながるし、完全に同一の特性しかもたない センサばかりでは環境の変化に対して種として脆弱すぎる。
そのセンサ特性の差異がある閾値を超えたとき、 知覚に関するコンセンサスが得られないという判断に 陥ってしまうことが多い。
前者ではスマートフォンのゲームという後天的な要素により センサ特性が可変になり、ポケモンやポケストップ、ジムが 見えるようになる。
後者では、人により先天性後天性の違いはあるが、 センサ特性が異なることで、得手不得手が生じる。

センサ特性が異なるシステム同士でもコミュニケーションを 介したコンセンサスの成立が可能なことは確かだ。
しかし、それはセンサ特性が似通った場合に比べて、 多かれ少なかれ困難を伴うこともまた確かだ。
その困難に慣れていないが故に、それが不可能だという 短絡が生じる。

センサ特性の異なる人間に対する反応として、 前者では排斥の意見が多く、後者では受容の意見が多いと したら、それは単に慣れの問題でしかないと考えられる。
そのことを自覚し、それでもそこに何らかの区別を設定しようと いうコンセンサスをつくるのであれば、もちろんそれはそれでよい。
しかし、そのことに無自覚なままいたのでは、これからますます 増えるであろう、VRやAR等の異なるrealitiesがRealityに干渉 した際に、相模原の事件と同じことが繰り返されてしまうのでは なかろうか。