非同期処理の同期化


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すべての抽象過程=短絡は本来投機的なのかもしれない。
複数の短絡をまとめ、コンセンサスをとることで堅実的に 近づいていく。

意味付けが堅実的に感じられるのは、物理的身体が多数の 細胞からなっているためで、理由付けが投機的に感じられる のは、一つの物理的身体に実装される心理的身体が極めて 少数なことによるのかもしれない。

原子、細胞、物理的身体、社会等の様々なスケールにおいて、 どの粒度で通信過程を見るかによって、堅実的短絡と投機的 短絡がそれぞれ何に対応するかは変わるのだろう。
それは、物理的身体のスケールで見たときには投機的短絡に 見える意識が、社会のスケールで見ると堅実的短絡に見え得る ことに対応し、言語が集団にとっての無意識のようなものに 感じられることに通ずる。
ユングが集合的無意識と呼んだものも、このように解釈できる のかもしれない。

本性的に投機的である短絡が集合することによって、堅実的に なるというのは、「いきものとなまものの哲学」で言及された、 非同期処理の同期化のことかもしれない。
この同期化に伴って時間の概念が生まれると言えるだろうか。
小坂井敏晶が「同一なものがあるのではなく、同一化がある」と 言ったのは、この同期化のことだろうか。

同期化が時間のことなのだとすれば、より多くの非同期処理を 同期化することは、時間がゆっくり流れるように感じられる ことに相当すると考えられるが、これは、いわゆる頭の回転が 速いことに対応するだろうか。

相対論に従えば、この同期化に含まれる非同期処理の数は 系の速度依存ということになるが、果たしてどうだろうか。
光速に極めて近い速度で移動する系で行われる理由付けは、 無限の非同期処理を同期化できることで、時間を失うのだろうか。
相対論的効果を、光速に近い速度で移動する系において実証した 例はあるのだろうか。
そもそも、それは何を意味するのか。

p.s.
相対論の話は、そもそも相対論における速度の単位の話を 解決する必要がある。
単位時間あたりに変化する位置座標同士の距離という速度の 定義において、単位時間とは何なのか。
むしろ、同期化する処理の数の多寡が系の速度と光速の比の ことなのかもしれない。
宇宙が膨張しているように見えるのは、遠くの情報ほど一括 して同期化することで手間を減らした結果だろうか。