知る
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何かを知るというのは、その対象の見方を増やすことだ。
見方というのは抽象の仕方、理由の連鎖のことである。
鎖の長さを長くするのは、深さ方向に見方を増やすことに
相当し、別の鎖をつなぐのは幅方向に見方を増やすことに
相当する。
深さ方向に多くの見方をもっている人間は専門家と呼ばれ、
幅方向に多くの見方をもっている人間は物知りと呼ばれる。
その知識の真偽というのは、他の鎖との整合性によって
決めるしかなく、「正しい」知識なんていうものがあると
いうのは信仰でしかないが、集団を維持するのには必要な
ものではある。
このところ、googleやfacebookが「偽の」情報と呼ばれる
ものを如何に排除するかが取り沙汰されている。
どのような方式を取るにしても、それはフィルタでしかないが、
そのフィルタの仕方が集団の在り方を決める。
ユーザ側にそのフィルタを任せるという方式は、集団としての
体をなさなくなることにつながる気がするが、シロクマさんが
言うように、ユーザ同士がクライアントサーバ型ではない集団を
形成するのをサポートする方向に縮小していくのかもしれない。
シロクマの屑籠 2016-12-16 “結局、大事な情報は人が持ってくる”
怖いのは、皆が皆、出来物を選び取ることに終始するように
なることだ。
これは、同じ同一性という正義を共有できることから生まれる 安心感だろうか。
それとも、単に自ら圧縮する手間を厭うことによるものだろうか。
An At a NOA 2016-10-04 “圧縮情報”
でも、そもそも意味付けや理由付けといった抽象過程自体、
選択することである。
その差は、選択候補の圧縮率の違いにあるのだろうか、それとも、
抽象過程における圧縮率の違いにあるのだろうか。
なんとなく後者な気がする。
前者の場合、他人の論考という圧縮率の高い対象を題材にしても、
優れた抽象を施すことで、一つの優れた論考にすることはできる。
知識の真偽を設定する以前の問題として、抽象することを怠った選択には、
知識になる資格などない。