形骸化


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いろいろな判断機構が、それぞれの正義をもちながら すり合わせをすることで、よいものができると思うが、 その際に具象のレベルですり合わせようとしても難しい。
一旦抽象し、圧縮した正義を持ち寄ると、意外とすんなりと すり合わせができて、抽象のレベルではコンセンサスが 取りやすいように思う。
ここから具象のレベルに落としこむという段階が とても難しく、コンセプトがよくても感動しない建築 というのは、ここで失敗しているのだと思われる。

具象を具象のまま扱うというのは、いわゆる形骸化のことだ。
ものごとは形骸化することで伝統になり、時に素晴らしい 印象をもたらすので、形骸化自体は悪いこととは限らない。
抽象を経ないというのは、理由付けされないということで、 具象は意味付けによって少しずつかたちを変えていく。
ガラスが非常に大きい粘性をもった液体であるのと同じように、 かなり固定化した部分がありつつ、完全には固定していない という状態が成立すると、伝統のように、よい形骸化に 至るのかもしれない。

固定化というのは、情報の再現性が高いことと同義であり、 物理的実体を有するというのはその最たるものである。
理由付けによって変幻自在に基準をすり替えられるのは 人間の特徴だが、理由付けの抽象過程だけによって存在するのは、 情報の再現性の担保が難しく、同一化の対象になりにくいのでは ないかという気がする。
意識がソフトウェア的に実装できたとして、様々なハードウェア上で 再生される意識は、果たして一つのものとして同一化され得るだろうか。

物理的実体を具えることがある程度の固定化を保証することで 現在の意識の同一化が担保されているのであれば、情報の再現性を 増し、同一化され続けるために、身体なき意識や紙媒体なき書籍は 代替となるハードな特性を必要とする。

ハードウェアに依存する必要はないが、それに代わる 同一性の仮定の基盤を要する、というものだ。
An At a NOA 2016-11-13 “SAIKAWA_DAY30

「すべてがFになる」に出てきたレッドマジックには、rootすら 変更不可能なファイル形式が実装されていたが、そういった かたちでソフトウェアにハードウェアが侵入することになるのだろう。
そのとき、「よい形骸化」となるような固定化を人間は実装 できるだろうか。
それを理由付けによって行うのは可能だろうか。