ことばになったことがら
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人間が視覚に支配されやすいのは、知覚の中で最もシンボル
への置き換えが進んでいるのが視覚だからだろうか。
対象はシンボル化されることで共有可能になり、
再現性を有するようになる。
例えば、コーヒーやピアノといったら、多くの人が
おおよその視覚入力を想像できるはずだ。
目に浮かぶというやつだ。
コーヒーの匂いやピアノの音も多くの人が想像できる
かもしれないが、コーヒーの音やピアノの匂いとなると
その知覚に集中したことがある人間以外には難しいだろう。
それらはまだことばとしてシンボル化されていないためだ。
「ことばになったことがら」は、シンボルとして抽象される
ことで、同一な部分だけが残り、差分は棄てられてしまうため、
再現性の代償としてその対象への集中力を損なう。
処理能力の向上には向いているかもしれないが、すべてが
シンボル化された世界はある種のディストピアである。