エントロピー再考
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エリオット・リーブとヤコブ・イングヴァソンの
「エントロピー再考」を読み、清水明「熱力学の基礎」も
(飛び飛びにだが)一通り目を通してみた。
X≺Yという断熱的到達可能性を軸に、いくつかの要請を
仮定することで、エントロピーの存在と一意性が導ける
というのはとても興味深い。
「熱い」「冷たい」のような感覚的な要素をまったく
仮定せずに、どちらが先行するかという順序の概念から
エントロピーという秩序(あるいは可能性の広さと言った
方がよいか)の概念に至るのは不思議な感じだ。
エントロピーとエネルギーから温度の概念が帰結する
あたりはすごい。
熱力学という名称も歴史的なものに過ぎず、むしろ
エネルギー保存やエントロピー増加といった、
モデルにほとんど依存しない法則を含んでいるという
点では、最も抽象的な物理学とも言える。
シュレーディンガーは生命をネゲントロピーを食らうもの
と呼び、ウィーナーやハクスリーは生命をエントロピーが
局所的に減少する島に例えた。
抽象という秩序化に生命もエントロピーも関係している
のであれば、さもありなん。
比較仮説というのは、順序構造を決めるということであり、
それはデータとしての情報を受け取ること自体に既に内包
されているように思われる。
そこからエントロピーも時間概念も生ずるのだろう。
シミュレーションにおける媒介変数としての時間ではない、
エミュレーションにおける時間は、エントロピーと区別可能
なのだろうか。
シミュレーションのために、エントロピーのある性質を抽象
したものが時間だとみなせるだろうか。
統計力学的には、あるマクロな状態に対応するミクロカノニカル
集団に含まれる状態の数がエントロピーに対応する。
エントロピーが増加することは、同一のマクロ状態として抽象
されるミクロ状態が次第に多くなることを表しているが、
このことはデータが抽象され過去=記憶として圧縮されるという
イメージと対応させることが可能だろうか。