せめて、人間らしく


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昨日のシンポジウムのトークセッションの最後は 人材育成の話に至り、シンポジウムの中で一番 盛り上がっていたように思う。
文科省主導のプロジェクトなのだからもっと教育の 話をすればよいのにと思ったのだが、時間の関係も あり、盛り上がり始めたところで終わってしまった。

与えられた抽象方法を遂行するのは得意な一方で、 どのような構造を抽象すると面白い結果になるかを 発想するのが不得意な人材が多いという嘆きに対し、 前者は人工知能で置換可能だから、人間は後者の 能力を伸ばす必要があると指摘するところまで含めて、 よくある話に落ち着いた感はある。
「教わったことを他の方法でもやってみる」ことが できる雰囲気を醸成するように方針転換したとして、 結果が出るのは果たして何十年後のことになるのだろうか。

村社会である日本はそもそも固定度が高いのに加え、近代以降、 企業や国家という大規模な集団をつくるために固定化はさらに 進められてきたように思う。
そういう固定度の高い社会に、人工知能に基づく抽象過程を 固定度が高いままに導入できるのかはかなり疑問だ。
固定化と発散のバランスを上手く調整しないと、集団の瓦解と ディストピアのいずれかを選択しなければならないときが来る ことも、ないとも言い切れない。

人間が発散を担当し、人工知能が固定化を担当するというのも、 それはそれでディストピア感があるのかもしれないが、 両者がともに固定化に舵を切った場合や、役割が逆転した場合に 比べれば、よっぽど人間が人間らしくある集団になる気がする。