予知


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ニュージランドでクジラが打ち上げられるとほとんど 例外なく日本で大きい地震が起きる。
あるいは大地震の前日には地震雲が観測される。
地震予知という名で語られるこれらの推測は、どれだけ 当たろうとも、やはり科学的ではないと思う。

風が吹いたときに、桶屋が儲かるだろうと述べるのは、 予知ではあるかもしれないが、科学的ではない。
風が吹くと砂が目に入ることで盲人が増え、盲人がよく 弾く三味線には猫の皮が使われるために猫が減り、猫に 獲られなくなったネズミが桶をかじるから桶屋が儲かる のだ、というように、原因と結果を十分なめらかにつなぐ 理由の連鎖を提示して、初めて推測は科学的になる。
工学の研究、あるいは人工知能による判断は、この点が 紙一重であることが多いが、それが科学と呼ばれるか 似非科学と呼ばれるのかは、「十分なめらか」であるかに ついてのコンセンサスが得られるかどうかにかかっている。

近代以前であれば、クジラや地震雲に基づく判断に 神様という理由が付されることで、予知は受け入れられ 得るものになっただろう。
しかし、近代はあらゆることに意識的に理由付けすることで、 自然というエミュレーションを人工というシミュレーションに 落とし込む努力をしてきた。
ディープラーニングのような理由付けを必要としない判断機構 によって、いわば自然の自然化がなされることになるが、 仮にそのAIがクジラの打ち上げから大地震を短絡したとして、 近代を経た人間はそれを受け入れられるだろうか。

それが受け入れられるように人間が変わるのであれば、 人間は近代からの脱却に成功したと言えるだろうし、 そのときには意識ももはや不要になるだろう。