publication


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ハイブリッド・リーディング」の脚注で、 個々の人間に合わせて本の内容を変えて出版 できる時代において、それはpublicationと呼べる のだろうか、ということが書かれていた。

そこではページの一枚一枚、本の一冊一冊ごと、 異なる読者に向けて内容をカスタマイズする ような製本も可能になっている。それを文化的な 合意として「出版物」(publication)と呼びうる かは議論があるだろうが。
阿部卓也「杉浦康平デザインの時代と技術」
日本記号学会「ハイブリッド・リーディング」p.75

privateなかたちで変化させられる本を出版 するとき、確かにpublicにされるものは変わる かもしれないが、それは範囲の問題だけであり、 技術による抽象過程の複製が、物理的な実体に ハードコードされたレベルから、より抽象的な レベルになるだけのようにも思われる。

ロラン・バルトが「作者の死」で明らかにした ように、作品が神として君臨する作者の意図を 表現しており、正解として存在するその意図を 受け手が読み取るという構図は幻想である。
これまでのpublicationにおいても、作者だけでは 作品は成立せず、受け手ごとに解釈されることで privateな部分をもっていたはずだが、物理的な 実体がこのことを覆い隠していた。
publicationの形態が多様化することで、この覆いが 取り払われ、幻想であったことが明示的になった だけなのかもしれない。

どこまでがpublicであり、どこからがprivateで あるかという話は、模倣犯に関する責任の話と 同じであり、作者も受け手も、どちらか一方が 全責任を追うこともなければ、どちらか一方が 無責任であることもない。
おそらくその中間にあるとみなせることになる のだろうが、その線引きはおそらく確定的には できないだろう。
もしできるとすれば、後ろに国家等の巨大な 集合が存在し、自由と責任を一括して管理する からであり、固定化への収束に繋がる。

創造的破壊と単なる破壊は紙一重ですらなく、 時代や場所、状況によって変化する解釈に 応じて、どのように分類されるかが決まる。

秩序からの振れ幅を、犯罪と創造のいずれと呼ぶのかという 境界線は極めて曖昧であり、常に恣意的に決めるしかない。
An At a NOA 2016-11-14 “犯罪と創造
犯罪と創造は多様性の同義語であり、一枚の硬貨の表裏のようなものです。
小坂井敏晶「社会心理学講義」p.269
要素の抽象特性の変化によって、同一性という集合の抽象特性も 変化を促される。
これが起きない集合は熱的死と呼べる状態である。
抽象特性の変化が大きすぎると集合は瓦解し、小さすぎると 集合は壊死する。
An At a NOA 2017-06-10 “技術の道徳化
秩序を秩序のままに取っておきたいという思いと、完全な固定化 という最大の挑戦の間で、生命は常に矛盾を抱えている。
An At a NOA 2016-08-09 “ホメオスタシス

こういった議論を放棄して、責任を置き去りにした 表現の自由を認めたり、表現規制を進めたりする 結論に短絡するのは簡単だが、それは人間が人間で なくなることにつながるように思われる。