管理社会と田舎
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監視カメラが増加することで管理社会が訪れる、
みたいな話のときに想像されているのは、
ドゥルーズの言葉を借りれば、管理型ではなく
規律型であり、近代のイメージを引きずっている
ように思われる。
管理社会と呼ぶべきものは、日本の田舎だったり、
twitterやFacebookのようなかたちで実現している
ような、互いが互いの行動を見張ることで成立する
中心のない監視体制である。
それは次第に固定化していく運命にある。
創造するということは、これまでも常にコミュニケーション とは異なる活動でした。そこで重要になってくるのは、 非=コミュニケーションの空洞や、断続器をつくりあげ、 管理からの逃走をこころみることだろうと思います。
ジル・ドゥルーズ「記号と事件」p.352
発散したノードは一時的にコミュニケーションの網から
弾き出される。
その弾き出されたノードを、上手く吸収して網に組み込み
直すことで、網の固定化を免れられれば、当該ノードだけ
でなく、網全体が管理から逃走できるようにも思われるが、
田舎にも都市にもそれはできていない。
それをめざすのが「観光客の哲学」だろうか。