都市と星


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アーサー・C・クラーク「都市と星」を読んだ。

これはどこまでも固定化と発散の物語で、 それだけと言ってしまえばそれまでであるが、 これもまたバナナ型神話の一つである。

人間、ダイアスパー、リス、地球、太陽系、 銀河系といった、それぞれの境界の内側で 成立する秩序。
ダイアスパーとリスは、都市と田舎、肉体と 精神、東西陣営といった、いろいろな対比 構造になぞらえられると思うが、何であろうと、 一つの基準のみに従うこと自体がユートピア= ディストピアという固定化を生み出す。

おたがい、相手から学ぶものがなにもないと 思いこんでいる状況は―どちらもまちがって いることの証ではありませんか?
アーサー・C・クラーク「都市と星」p.282

〈中央コンピュータ〉が体現する、

“いかなる機械も、いかなる可動構造を持たない” 同p.289

という機械の理想像も、固定化の末路の一つであり、 この理想像への憧れはあるものの、全体のストーリィ の中では、やはり否定的なものとして捉えるべき ものだろう。

その固定化へと収束しつつあるユートピアに、 発散をもたらし得る、ケドロン、アルヴィン、 ヴァナモンドといった子供を挿入することが、 ユートピアを回避する唯一の道であるという サイバネティックス的な視点はとても好きだが、 同じ構造を幾重にも重ねているためか、少々 長ったらしく感じてしまう気もする。

〈狂える精神〉を生み出した実験について、

人類がさまざまな種属との接触によって知ったのは、 各種属の持つ世界観が、それぞれのそなえる肉体構造と 感覚器官に深く依存しているということでした。
同p.435

としているあたりには、ユクスキュルの 思想の影響もみられる。
ハードウェアから切り離した発散機構が 機能しないということには同意できる。
固定化に向かう秩序と通信するための 共通基盤としてのハードウェアを有しない 発散は、単なるバグでしかない。

理由付けに相当する判断機構をAIに実装したとして、 そんな機構は自己正当化を続けるバグの塊のように みえるだろう。
An At a NOA 2017-01-09 “

ジェレインが構築したヤーラン・ゼイの イメージがジェセラックにダイアスパーの 創設を語るシーンでは、個という意識もまた、 近代が作り上げたシェルターなのではないか ということを連想した。
パッケージ化された「わたし」という意識の 軛から解き放たれるときは来るだろうか。

きみの精神には、外界に対する恐怖、都市に 閉じこもりたいという強迫観念、都市の住民 全員とダイアスパーを分かち合っているという 意識などが植えつけられていた。
しかし、いまのきみは、その恐怖が根拠のない ものであることを知っている。
(中略) いま、その軛からきみを解き放とう。
わたしのいう意味がわかるね?
同p.452