神話と科学
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上山安敏「神話と科学」を読んだ。
ウェーバーは「職業としての学問」の中で、専門分化
によって精緻化しつつ、判断基準としては収束する
学問の姿を描き出した。
それはアポロン的、固定化、エートス、ロゴス、父権制、
一神教、西洋、といった方向性をもつ認識の檻であり、
ゲオルゲに象徴される、ディオニュソス的、発散、パトス、
ミュートス、母権制、多神教、東洋、といった方向性をもつ
詩人の王国と対照的である。
しかし、学問によって収束することで己の「神」を明確化
すると同時に、他の「神」があり得るとして発散することも
可能であり、それによって集団の壊死と瓦解が防がれる。
固定化と発散は両方あって初めて生命的になるのであり、
いずれか一方のみへの偏りは壊死と瓦解をもたらす。
そのようなものとしてウェーバーの価値自由が理解され得る
からこそ、本書で描かれるような、詩人の王国に分類される
人々とウェーバーの交流も生じたはずだ。
集団を維持するには、倫理的であることも必要である。
ただしそれは、「何を是とするか」を決めるというだけであり、
それ以上でもそれ以下でもない。
道徳というのは、抽象過程の破綻を避けるための、 発散する特性を制御する枠組みだと言える。
An At a NOA 2017-06-10 “技術の道徳化”
正しいからコンセンサスに至るのではない。コンセンサスが 生まれるから、それを正しいと形容するだけだ。
小坂井敏晶「責任という虚構」p.166
そこで前提した「是」を絶対視したり、「是」としただけである
ことを忘れたりするところから、集団は少しずつ壊死し始める。
どんなストーリィでも、それを唯一無二の正しいものだと仮定
することが、既に父権制的であり、エスタブリッシュメントへの
対抗として母権制を支持する側が、別の父権制の乱立になって
しまうだけでは、逆に集団は瓦解する。
「Ⅶ 神話の古層」で指摘される、
ただ一ついっておきたいことは、西欧文明の根幹をつき、 科学のパラダイムの組替えを要求した人びとの現実政治 への感覚的鈍さである。
上山安敏「神話と科学」p.376
というのも、これに通ずることだろう。