政治的なものの概念


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カール・シュミット「政治的なものの概念」を読んだ。

政治的な行動や動機の基因と考えられる、特殊政治的な区別とは、友と敵という区別である。
カール・シュミット「政治的なものの概念」p.15
友・敵・闘争という諸概念が現実的な意味をもつのは、それらがとくに、物理的殺りくの現実的可能性とかかわり、そのかかわりをもち続けることによってである。
同p.26
現実の闘争においてこそ、友・敵という政治的結束の究極的帰結が露呈する 同p.30

判断基準を共有することによって集団が形成され、集団によって判断基準が維持される。道徳的基準が善悪を、美的基準が美醜を、経済的基準が利害を区別するように、政治的基準は友敵を区別する。友敵の基準である政治は、あらゆる抽象の基盤となる物理的身体の存続に関わる点に特徴があり、道徳・美・経済などの基準による対立も、悪醜害を物理的身体の毀損によって排除しようとした途端、政治的な基準による友敵の対立へと変化する。ナタリー・サルトゥー=ラジュ「借りの哲学」で述べられていたのは、友敵の区別を含意しない《贈与》の可能性だったと言えるかもしれない。

性善説では判断基準が不変だとみなされるのに対し、性悪説では基準の変化可能性が考慮される。

性善説は固定化の傾向に着目し、性悪説は発散の傾向に着目する。
An At a NOA 2017-08-16 “性善説と性悪説

判断基準が固定化した状態では「合理的」の意味が定まるが、基準が変化する状況においては論理の飛躍が生じており、友敵の基準の場合には、基準の変化に伴って大規模な物理的身体の損失が発生する。この友敵基準の飛躍的変化こそが、現実の闘争という例外状態なのだと思う。

友敵基準の前提となる物理的身体の変化とともに、政治的なものの概念も変化するはずである。ここ数年の民主主義の変化も十分大きいように感じられるが、それには先進諸国での医療技術の発達による死生観の変化が影響しているだろうか。さらには、物理的身体の大部分が人工細胞に置き換わったり、「人間」というカテゴリが変化したりすることによって、ハードウェアが簡単には停止しなくなった時代には、「国家」そのものがノスタルジックなものになっているだろうか。