人新世の哲学
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篠原雅武「人新世の哲学」を読んだ。
人間はセンサの塊である。
センサとは、受け取った情報について、何らかの判断基準に
基づいて同一性を判定する過程である。
それは秩序をつくる抽象過程であり、判断基準の更新によって
更新される秩序としての生命になる。
基準の更新が堅実的な抽象過程は物理的身体の意味付けであり、
投機的な抽象過程は心理的身体の理由付けである。
後者は人間の最大の特徴であり、自然と人工の境界となる。
理由の不在としての自然と一意的な理由の存在としての人工 An At a NOA 2017-01-18 “AIと理由”
ここで言う自然は、理由付けからは逃れているものの、それでも
まだ意味付けによって認識されている。
しかし、世界は意味付けからさえ逃れる情報で溢れている。
世界はなお圧倒的に無意味である。
野矢茂樹「心という難問」p.340
この自然の向こう側にある、
「情報が存在している」という言及すら不正確さを含んでしまうような 在り方で、端的に情報が在るような An At a NOA 2016-08-27 “ぼくらは都市を愛していた”
〈リアルな世界〉のことを、アーレントは「世界ならざるもの」
と呼び、モートンは「人間ならざるもの」と呼び、小野は
「酷烈」と形容し、トリンは「夜の国」と呼び、この本は
「エコロジカルな世界」として捉えようとしているのだと思う。
よどみが流れの中にあり、よどみと流れは異なっていながら、
両者の境界を確定できないのと似たような関係が、人間の世界と
エコロジカルな世界の間にもある。
絶え間ない流れに、理由という杭が立てられる ことによってできたよどみ。
そのよどみのことを、心理的身体と呼んでいるの だろうか。
An At a NOA 2017-04-07 “よどみ”
よどみの秩序は常に脆さとともにあるが、モートンの言う
ように、その脆さは判断基準の更新のきっかけとして、
生命であることを支えているように思う。
理由付けも、例外なくこの脆さとともにあるということを
忘れたのが、近代的な人工世界なのだろう。
判断基準の更新は、その時点ではエラーの導入にみえる。
物理的身体が発生や生殖によってエラーを導入するように、
心理的身体は理由付けの投機性によってエラーを導入する。
こうして導入されたエラーによって固定化を免れたからこそ、 生命という抽象過程は局所的最適化に陥らずに済んでいるのだろう。
An At a NOA 2016-11-02 “SAIKAWA_Day19”
理由付けによるエラー導入の多様化と高速化のために、
近代的な絶対時間では高々数十年から数百年の期間が、
エントロピーの時間の観点では、それよりも遥かに長い
期間に相当するという感覚を捉えたのが、「人新世」
という単語であるように思う。
(人間の次の観測者が現れたとして、人新世の期間を
近代の絶対時間の意味で正しく推定できるのだろうか)
近代以降の急成長は、理由付けによってエントロピー増大が 加速したというだけのことなのかもしれない。
An At a NOA 2017-09-15 “タイムマシン”
エラー導入がますます加速する人新世は、それだけ多くの
脆さとともにある。
その脆さを忘れずにいることが、人間の世界が瓦解を免れる
ことにつながる。
更新される秩序としての生は、 更新の不在によって死に至り、 秩序の不在によって解かれる。
An At a NOA 2017-08-11 “壊死と瓦解”