大量複製


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技術によって完全に複製されてしまうものに オリジナルとコピーの区別は存在しない。
情報の大量複製であるマスコミュニケーション において確保されるのは、受信チャンネルに 対して送信チャンネルが圧倒的に少ないという 送受信チャンネルの不均衡を利用することで 得られる、擬似的なオリジナリティである。

送信チャンネルが拡充してきたことで、擬似 的なオリジナリティはもはや確保することが 難しくなってきているが、送信を独占してきた マスコミュニケーションの発信者は、どの媒体 においても、かつての送受信の不均衡を何とか 模倣しようと躍起になっている。
果たしてどれだけ上手くいくだろうか。

送受信が均衡した情報伝達網においてオリジナル であり続けるためには、複製しきれないものに なるしかない。

現時点での複製技術の精度は視覚と聴覚に偏って いるため、複製の完全性から逃れる手っ取り早い 方法は、それ以外の感覚に訴えることであるが、 いずれ技術とのイタチごっこになるだろう。

結局、抽象された結果としての「もの」は、既に 死んでいるために複製がしやすく、複製から逃れ 続けるには、抽象する過程としての「こと」で あり続ける他ない。
そこでは、常に繰り返される死が、複製しがたい 生をなしている。

マスコミュニケーションでは大量複製された 「もの」が利用されてきたが、その死体の山が 価値を維持できたのは、送受信の不均衡によって であった。
送受信の不均衡が解消されつつある時代において 著作権をもつオリジナルであらんとするには、 自らのかつてのスナップショットである死体に 鞭を打つのではなく、日々死を繰り返すことで 生きるしかないのだろう。