ちのかたち


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「藤村龍至展 ちのかたち」を観てきた。

Deep Learning Chairが面白かった。

9か国語でのGoogle画像検索によって得られた 「椅子」の画像を用いた深層学習によって形態化 された「それ」は、ある意味で「椅子というもの」、 「椅子のシニフィエ」を表しているとも言える。
猫を認識したGoogleの画像認識技術の話を思い出す。

言語や理由を介した設計は、手続き型プログラミングの ように、人間が理解できる線形化のプロセスとなって いるが、深層学習による抽象は言語や理由を介さないため、 全く新しい「ちのかたち」になっているように思う。
それが新しい「理由」になるかどうかは、受け入れる側の 問題である。
このあたり、3Dプリントされた橋の安全性(というより 安心性)にもつながり、興味深い。

塚本さんが言っていたように、建築を物理的に作る限り、 超線形設計プロセスのある切断面を実現するしかないため、 時間軸方向のコンセンサスの形成が課題となる。
これは、実現した切断面が「正義」として埋め込まれて しまうことに対する懸念である。
Deep Learning Chairでも、検索で得られたデータセットが、 暗黙の正義として埋め込まれたハードウェアとなるため、 Tayのような事態にならないための理由付けによる制御は 必要なのではないかと思う。
An At a NOA 2016-06-21 “意味付けと理由付け
An At a NOA 2017-07-14 “埋め込まれた正義
An At a NOA 2017-09-15 “専門分化

果たしてこれは椅子なのだろうか。
それはつまり、人間はこれを椅子と呼ぶのだろうか、 ということと同じである。
もしかすると、Deep Learning Chairには、言語や理由に 代わる「ち」が垣間見えているのかもしれない。