流れとよどみ
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大森荘蔵「流れとよどみ」を読んだ。
よどみが流れの中にあり、よどみと流れは異なっていながら、 両者の境界を確定できない An At a NOA 2018-01-24 “人新世の哲学”
流れているところとよどんでいるところ。
その区別をしないではいられないことを、
「人間は無意味であることに耐えられない」
と伊藤計劃は表現した。
その区別の仕方に唯一真なるものがあるという
信念から生まれた二元論は、その信念自体が
枷となり、ひたすらによどみの内へ内へと
向かいながら、デカルトやラッセルの陥穽に
収束せざるを得ない。
流れとよどみの区別を固定化することに執着
することなく、様々な区別がそれぞれに変化
しながら重ね描きされることで、一元論的な
世界が百面相に立ち現れるとみなす。
それこそが、生きているということだろう。
そのような意味で生きた世界であれば、いつか
ロボットと人間を同じよどみとみなす区別が
現れる日も来るだろうか。
理由付けに相当する判断機構をAIに実装したとして、 そんな機構は自己正当化を続けるバグの塊のように みえるだろう。
(中略) 他の人間の意識を意識として受け入れられるのは、 単に自分と同じカテゴリとして判断しているからに過ぎない。
(中略) つまりは慣れの問題なのだから、AIの理由付け機構も、 いつかは意識として受け入れられることになるだろう。
それは、人種差別の歴史と全く同じ構造をもつことに なると想像される。
An At a NOA 2017-01-09 “勘”