免疫の意味論
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多田富雄「免疫の意味論」を読んだ。
免疫系という判断機構による是と非の振り分けは、
                    多義的で曖昧で冗長な仕組みに支えられている。
                    ランダムな変異の中で次第に生じる判断の偏りは、
                    洗練された一つのまとまりをなしていくと同時に、
                    固定化を免れるようにして、常に変容し続ける。
                    免疫系を境界として現れる物理的身体の「自己」は、
                    そのような可塑性をもつ超システムとして振る舞う。
超システムは、柔軟であるが故に不安定でもあり、
                    メンバーの多様性、エレメントの自己言及的な補充
                    可能性、メンバー同士の相互調節できる関係性と
                    いったものが一つでも欠ければ途端に破滅に至る。
                    是への非が止まらなくなる老化、是と非の判断が
                    なされなくなるエイズ、是非への過剰な固執による
                    アレルギーといった超システムの機能不全は、
                    意識、言語、都市、国家などの他の超システムでも、
                    認知症やポピュリズムなどのかたちで顕在化しつつ
                    あるように思われる。
超システムという発想に立てば、確固たる「自己」
                    というのは、認識論的には成立しても、存在論的には
                    成立しない。
                    むしろ、あらゆるものが可塑的な超システムとして
                    存在する中で、可塑性を無視した第一近似によって
                    情報を大幅に圧縮するのが認識という過程であり、
                    その最たる例が、意識による理解なのかもしれない。
何かを理解するにはその近似も必要なのだろうが、
                    固定化と発散の間で生成される超システムを殺して
                    しまわぬように、理解の仕方もまた超システムたらんと
                    しなければならない。