COVID-19所感
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災害や疫病といった異常事態に陥ったとき、異常なものを排除して正常に戻ろうとするのは、社会の免疫系としての側面であり、社会の維持存続には欠かせない。その一方で、これまで疑いなく正常とされていたものまでもが排除されていくと、自己を維持するための機構そのものによって自己が瓦解してしまう自己免疫疾患の状態に陥る。
資本主義経済は、人口や生産量などの多くのものがほとんど常に単調増加するという前提に支えられており、元々は価値のないものに次々と価値を与えることでその前提を維持してきた。生命体としての人間を生かす観点からすれば、資本主義経済はほとんど常にバブル経済状態であり、資本主義経済としての社会は、発展すれば発展するほど、夥しい数の不要不急のものを抱え込むことになる。ただし、元は不要不急であったものも、それを取り込んでいく間に依存する部分が生じていき、大域的には不要不急でも局所的には不可欠になることが往々にしてある。
今回のCOVID-19への対応は、従来の災害や疫病への対応と比較して格段に厳しい印象が強い。一種の訓練だと思えば、それをするだけのゆとりがある社会になったと考えることもできる。しかし、既に資本主義経済としての自己が大きくなり過ぎて久しい社会にとっては、この強烈な免疫作用はあまりにつらく、自己免疫疾患の様相を呈し始めているように思われる。何にせよ、単一の判断基準に基づく免疫作用が行き過ぎればディストピアは必至だ。immunityの語源がin-(not, opposite of) + *mei-(to change, go, move)であることを思い出す。先月の講演で聞いた、共同体communityと免疫immunityの対比についてもまた考えたい。