音楽と言葉


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昨日、半年かけて準備をした演奏会を終えた。
9年前に歌った曲を指揮したが、 当時以上に曲についていろいろと考察をした。
千原英喜作曲のおらしょである。

そもそものきっかけとして、2014年2月の長崎旅行があった。

この旅行で外海付近を歩いていなかったら、あるいは 遠藤周作の沈黙を読んでいなかったら、 曲の解釈を進んでしていたかどうか定かではない。

その後、「オラショ紀行」という本にも出会い、 遠藤周作や間宮芳生らとの対談を通した皆川達夫の 解説にも触れることで、様々な知見を得た。

■言語表記 歌詞にはラテン語の部分と日本語の部分があり、 日本語の中でも、「ひとつ唄いましょ」のような、 民謡の歌詞の箇所と、「きりやれんず」のような、 ラテン語が変容した歌詞の箇所とがある。
日本語はカクレキリシタンたちの発した言葉、 ラテン語は天からの声(作曲者は「遠い過去から 呼び掛けてくる声」と表現している)になっている。
ラテン語が変容した日本語については、「オラショ紀行」 によればカクレキリシタン本人が唐言葉だと認識していた ほどで、元の意味は消失し、もはや意味不明の呪文として 唱えられているのではないかと思う。

■拍節 「オラショ紀行」に、「言葉がわからないから拍節が あいまいになる」という内容のことが書かれている。
この曲では2/4、3/4、4/4、5/4などの様々な拍子が現れる。
民謡の独特の節回しや、ラテン語から変容した日本語の 意味のあいまいさから、そういった拍子の混淆が発生している のかもしれない。

■第一楽章 出だしでは、Alleluiaという天からの声が 4/4拍子で規則正しく歌われたあと、3/4拍子に変わって 民謡を唄うテナーの声が入ってくる。
第一楽章ではこのパターンは守られており、民謡部分では 2/4と3/4が入れ代わり立ち代わり現れるのに対し、 グレゴリオ聖歌のメロディの部分は必ず4/4拍子となっている。

■第二楽章 「きりやれんず きりすてれんず」という呪文から始まる。
ここは4/4拍子ではなく、2/4と3/4の混ぜあわせになっており、 この言葉がラテン語の"Kyrie eleison, Christe eleison."とは 全く別物であることを表している。
続く「ぐるりよざどみぬ」も元は"Gloriosa Domina"だが、 お祭りの囃子のようなリズムで作曲されており、 意味よりも言葉のリズムの良さを優先した表現になっている。
日本語の次に、元のラテン語の歌詞が出てくるが、この部分は 第一楽章のAlleluiaと違って拍子が安定しない。
「オラショ紀行」によれば、民謡的なものの拍節が安定しないのは 東洋西洋同じのようなので、グレゴリオ聖歌としては 割と普通のことのようである。
調が変わってまた出だしに戻った後、「みぜれめん」に入る。
この部分はほとんど音が一定で、音量はppで歌われる。
これは、カクレキリシタンが唱えている様子を的確に再現しているのでは ないかと思うので、この部分は抑揚を全く付けず、発音すら あいまいにした方が、雰囲気としてはあっているのではないかと思う。
「ばんじにかないたもう」からは日本語でキリスト教の教えを 伝える部分になっている。全体として女声と男声が交互に歌う構成だが、 「でうす」や「くろす」などの言葉は全パートで歌っているというところに、 カクレキリシタンにとってこれらの名詞が大事な言葉で、 これくらいは意味がわかっていたのではないかということを思わせる。
「たてまつる」の「る」の音で全パートが揃った後、 次の和音では天からさす一筋の光のような輝きが表現され、 さらに次の和音ではベースが入ることで安定感のある重厚な響きになる。
そこから立ち上がる「あんめいいえぞす」は、カクレキリシタンの 魂の限りの叫びとなっており、forteで各パートが下から順に 重なっていく。ここで楽譜の表記方法が切り替わるのが場面の転換を 表しており、「ばんじにかないたもう」を歌ったバスチャン屋敷のような 薄暗い場所から、天主堂のような響きの良い場所へと移動する。
「いいえぞす」の「す」の音が天主堂に満ち溢れた後、 その残響として響き渡る「まりや」の旋律はpianoで歌われ、 いつの間にか天からの声としての"Amen"に切り替わる。
ここで再び楽譜の表記が元に戻り、天からの声が"Kyrie eleison, Christe eleison."と唱えて曲が終わる。出だしの「きりやれんず  きりすてれんず」と呼応するように。

■第三楽章 この曲は遠藤周作による小説「沈黙」の世界である。
出だしのオロロンという言葉は、この地方のお子守歌に共通する あやし言葉であると同時に、波を表現する。
それは「沈黙」の中で、

ただ私にはモキチやイチゾウが主の栄光のために呻き、 苦しみ、死んだ今日も、海が暗く、単調な音をたてて 浜辺を噛んでいることが耐えられぬのです。
この海の不気味な静かさのうしろに私は神の沈黙を ―神が人々の歎きの声に腕をこまぬいたまま、 黙っていられるような気がして……。
遠藤周作「沈黙」

と表現された海の波である。
浜辺にて「汐は半から満ちね」と歌い出すのはカクレキリシタン だろうか。時代が下った視点になっていると思うので、 江戸時代に迫害された先祖を思う、カクレキリシタンの子孫なのだろう。
「瀬戸の潮騒ゃね」の後、「波打つ際によ」という部分では、 歌い手がふと我にかえって自問するかのようにpで歌われる。
モキチが磔にされた波打ち際を思い出してしまったのだろうか。
「アー 参ロヤナ」からのカタカナ表記になっている箇所は 先祖が歌った箇所になっていて、これは「沈黙」に出てくる モキチをイメージしているのではないかと思う。
波打ち際に磔にされ、ゆっくりと死に近づく中で、 それでも俺はまだ生きているということを仲間に伝えるために 息たえだえに歌った「ダンジク様のお歌」。
この部分は必死さが出るように歌えると雰囲気が出ると思う。
その後、獅子の泣き歌に戻ったあとでは、モキチが浴びることの できなかった朝日を大事にするかのように、「朝日」という単語 だけがritenされmfで歌われる。
最後は再び第一楽章から続く4/4拍子の聖歌に戻ってくる。
天からの声が消えゆくように終わっていく様は、 救いを表しているのだろうか。

以上、思ったことを長々と綴ってみた。
10年後に見返したとき、自分はどう思うだろうか。

演奏会後、合唱団の後輩と話した際に、音楽と言葉は どちらが先なのかということを考えた。
どこから先を音楽や言葉と呼ぶのかにもよるが、 叫びのようなものを言葉と定義しなければ、 音楽の方が先行しているのが自然ではないかと思う。

叫びというのは他の動物にも共通する情報伝達手段であり、 コミュニケーションの原初になっていると思う。
そのバリエーションとして、音程や強弱をつけたりする中から、 音楽のようなものが生まれるというのはありうる。
あるいは道具を使うことで楽器のようなものも 生まれただろう。

意味を保存する手段としての言葉が発生するには 意識の誕生を待つ必要がある。
あるいはむしろ、言葉というプロトコルの誕生により 意識が存在できているのかもしれない。
このあたりはかなり微妙な問題で、よく理解しきれていないが、 死ぬまで考え続けられるよいテーマである。