意識


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意識をもつことが異常になった世界の話というのは 描き出すのがすごく難しい。
「正常」とされる無意識の人々は、伊藤計劃の世界観に ならうとすれば、これ以上なく合理的判断のみを繰り返す 存在であるから、果たしてそこに言語的コミュニケーションは 残されるのだろうか。
セリフもなく、淡々と合理的な行動のみが記される中、 自意識を発症してしまった人間が「治療」を受けながら 葛藤するような物語。面白く書くのは可能だろうか。

消費しなければならないエネルギーに比べて、 摂取できるエネルギーの量が圧倒的に少なかった時代、 ミトコンドリアを取り込むことで好気呼吸を実装した。
遥かに時代が下った後で、摂取エネルギーが爆発的に増加することで、 それは異常として認識される糖尿病の片棒を担ぐ結果と なったとも言える。

処理しなければならない情報に比べて、 処理可能な情報の量が圧倒的に少なかった時代、 意識を実装することでそれを乗り越えたのだとして、 この先処理能力が爆発的に増えるようなことがあったとき、 意識が異常と認識される時代が来る可能性はゼロではない。
脳の容量も増え、もはや外見も現在の人間とは異なるかもしれない。
そういう意味では、もしかするとコンピュータに意識を実装するのは ウイルスを埋め込むようなもので、全く無意味なのかもしれない。

今はむしろ情報の方が爆発的に増えているので、 しばらくは意識が必要とされる時代が続くのだろう。
と思ったけど、果たして情報の量はそんなに増えているんだろうか。
確かにネットワークによって世界中の情報が手に入るようになった。
パリの同時多発テロの情報だって、半日もしないうちに世界中を駆け巡る。
しかし、今この眼の前に拡がっている光景の方が、テキストデータとしてのみ 供給されるパリの事件の情報よりも遥かに多くの情報をもっている。
実は薄く拡がった縁辺ばかり量が増えているだけで、 大枠の情報量は変わっていないんじゃないだろうか。

今やスマホ一台あれば、あらゆる記憶がアウトソースできるし、 時々刻々、その場に合わせた情報をプッシュ通知もしてくれるから、 処理すべき情報の量は漸減され、与えられた情報をただただ享受すれば よいだけになってきている。
外部機関によって情報がフィルタリングされることで、 処理すべき情報の方が減っていった場合でも、意識は消滅しうるだろうか。

人はそれを、かつて痴呆と名付けた。