絵を描く
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少し前に書いたように、人間はむしろ周りの変化に合わせて
自分たちを変えてくることで適合してきた。
原子力発電に関して言えば、1950年代に後の首相でもある中曽根康弘らが
推進するというかたちでスタートし、1960年代には実用化されている。
この機動力の高さは、おそらく将来の社会のあるべき姿を描くことで、
変化する先を提示し、それに対して国民の側が合わせていくことで可能だったのだろう。
中曽根康弘しかり、田中角栄しかり、20世紀後半にはそういうことができる
政治家がいた。
描いた先が万人にとって「正しい」ということはまず間違いなくないであろうから、
当然反発も多く受けたことだろう。後世になっても、あれは間違いだったと言われることも
あるだろうが、それを主張する人々も、結果としてその方向に変化してきた社会に
適合するように変化できている。
昔はよく、「末は博士か大臣か」と言われたが、これはつまり絵を描く立場になるという
意味で出世するということだろう。50年先100年先のことは研究者や政治家が
先陣をきって示していくものだった。
現代ではこういった絵を描く役割が、政治家から企業に移ってきている気がする。
企業といってもソニーやトヨタのような伝統的なところではなく、GoogleやAmazonの
ようないわゆるテック企業の面々だ。
彼らはこういう技術が発達するとこんなに「豊かな」生活が待っているよ、という
情報を発信することで、確実に変化すべき先を示している。
政治家の側は、その変化によって発生する問題の数々に対して、ドローン規制や
不正アクセス禁止法等で後手後手の対応に迫られている。
既に国も変化した社会についていく側に回ってしまっているのである。
変わるべき方向の議論では、(特に最近は)人間の倫理に触れる話題が多い。
そしてそういった議論はどうしても感情的な意見が多く出てくる。
しかし、倫理というものが人間にとっての正義である以上、感情で議論することは
ある意味で本質なのかもしれない。
こういった議論を倫理抜きで論理のみで行えるのは、きっと人間を超えた存在だけだろう。