ぼくの、マシン
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少し気になって「いま集合的無意識を、」の「ぼくの、マシン」
を読んでみた。
あらゆるコンピュータがパーソナルでなくなり、シンクライアントに
なった世界。
これは、Windows10へのアップグレード問題に関連して、
ローカルをネットワークから切り離すというイメージ戦略は、 近代的な人間像と通ずるところがある。
PCの世界では、Windowsは大苦戦中だと言ってよい状況だ。
人間が近代的な人間像から抜け出すのも、同程度以上の 困難をはらんでいるに違いない。
もしこの比喩が妥当なものであるなら、通信速度の爆発的上昇は、 人間のシンクライアント化をもたらすだろうか。
An At a NOA 2016-06-02 “OS”
と書いた話の延長にあるものだ。
深井零が「ネットワークという監獄から脱獄」するために、
まず必要だったのは、どこからも干渉されない空間をネットワーク上に 確保することだった。それがすべて、と言ってもよかった。
神林長平「いま集合的無意識を、」p.34
としているものこそ、近代が作り上げた個人という意識だった。
ここで描かれたパーソナルなコンピュータが絶滅した世界は、
近代以前に先祖返りするだろうか、あるいは現代以降として
別のものになるだろうか。
今日、Windows10への無償アップグレードが終わる。
いつか、パーソナルでないOSへのアップグレードが避けられなくなった日に、
私は最後のパーソナルなものにとどまっていられるだろうか。