洋の東西とディストピア


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一神教においては、あらゆる問に対する究極の答えを シンボル化し、それを神と呼ぶ。

それに対し、仏教における仏は究極の答え自身ではない。
問によって理由の連鎖を辿る過程である輪廻において、 究極の答えを知ることが解脱であり、涅槃に辿り着く。
それを成し遂げたものが仏なのである。
仏は何も創造していないし、すがるべき対象というよりは、 人間が目指すべき高みという存在に近い。

科学では輪廻に留まるのが常であり、仏教では苦とされる 輪廻がむしろ重視され、解脱には重きが置かれない。
飽くなき充足理由律への固執は、仏教では執着(しゅうじゃく)とされる のかもしれないが、解脱して悟ってしまうことは無我の境地 というディストピアに陥ることを意味するため、意識的な行為 としての科学はそこに留まることを旨としている。

「ハーモニー」のように意識を失う過程や、「すばらしい新世界」
のように単一の評価基準に縛られる世界がディストピアとされるのは、 一神教的というか、西洋的な評価のように思われる。
反対に、理由律に縛られる苦しみに陥るという東洋的ディストピアも 読んでみたい。
それは、西洋化した現代社会から見れば、普段の世界と変わらない のかもしれないが。