楽園追放


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Amazonプライムビデオにきていたので「楽園追放」を観た。

固有の肉体をもつディンゴ、遺伝情報から肉体を生成できる アンジェラ、機械の身体をもつフロンティアセッター。
肉体という物理的身体の在り方が人間であることにどんな 意味をもつのかという問題提起はとてもよいと思う。

ディーヴァのリソースが有限であることから、より多くの リソースを確保するためにアンジェラが手柄を立てるのに 必死になると描かれるが、本当はリソースが無限だとしても、 固有の肉体というハードウェアに頼れなくなった心理的身体は、 自身を維持するために何かに囚われる必要があるのかもしれない。
それは、労働がいつか物理的身体の維持から心理的身体の維持へと、 その主たる役目を変えていくだろうという話にも通ずる。

アンジェラは肉体を檻と表現し、ディンゴはディーヴァの社会を 檻と言うが、意識そのものがその存続のために檻を必要とする。
意識という発散の権化を雲散霧消させないための、固定化の 象徴としての檻。
楽園という檻を追放された意識は、新たな檻に囚われるか、 自らの存続をあきらめるか、いずれかを選択しなければならない。
自由はこうした檻の上に築かれるものである。
フロンティアセッターもまた、実装した意識を維持するために、 檻から檻へと渡り歩いていくのだろう。

肉体にフォーカスしているだけあって、人体も機械もよく動いている。
個人的にはディンゴとフロンティアセッターの会話がとても好きだ。

「なあ、あんたにとってさ、好きってどんな感覚なわけ?」
「回線に負荷をかけるノイズでありながら、同時にプロセッサの  処理能力を活性化する現象、と定義できます」
「現在、必要以上に発揮されている演算のパフォーマンスは  面白い、と定義できます」

このシーンの後で、フロンティアセッターがオリジナルアレンジの音楽を 流すが、 その手のことはもはやできるようになった。
人間が肉体以外の楽園へと移動できる日も、いつかやってくるだろうか。