ビットコインとブロックチェーンの思想


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現代思想2017年2月号「ビットコインとブロックチェーンの思想」 を読んだ。

ビットコインやブロックチェーンの技術的な解説としては、 小島寛之「ブロックチェーンは貨幣の本質か」がわかりやすい。
コチャラコータの「Money is Memory」という論文を取り上げ ながら、ブロックチェーンを貨幣として用いる発想が、以前から 経済学の分野に存在していたと指摘しているのは興味深い。

ブロックチェーンというのは、あらゆるコミュニケーションの 履歴を含んだ記憶のことである。
藤井太洋はブロックチェーンのことを「かつて、こんな風に データを保存する方法はなかった」と書いているが、 コミュニケーションの履歴に関する記憶が真正性を担保する という意味では、「わたし」という個が同定される仕組みは ブロックチェーンの仕組みと本質的に同じだと言える。

ブロックチェーンはある種の「固さ」をもち、それが物理的な ハードウェアの「固さ」に依存できないサイバースペースの 心理的身体にとっての依拠すべき「固さ」になる。
その「固さ」によって、貨幣、国家、著作権、意識といった 既存の物質世界の秩序と置換可能な秩序がサイバースペースの 中に形成し得ると思われる。
物質世界における物理的身体上の心理的身体と同期した経験を ブロックチェーンの形式で記録できれば、そこに個が生じる ことも可能だろう。
ただし、ビットコインが既存の貨幣と接続することの困難以上の 困難が待っているとは思うが。

ブロックチェーンの有する、修正不可能性や暗号解読の困難さ、 PoWのコストといった諸性質は、いずれも上記の「固さ」を 実現するために必要不可欠だと思われる。
斉藤と中山の議論において、修正不可能性を解消したり、PoWの コストを下げる話が出ているが、それでは本末転倒であり、 塚越が危惧するようなビットコインが既存の政治や経済の一部門 として吸収される事態につながるような気がする。
すなわち、ビットコインが電子マネーに堕してしまうのである。
むしろ、PoWが“労働”としてビットコインの〈モノ〉性を強化 するという大黒の指摘の方が妥当だと感じられる。
ただし、人間の記憶において忘却が可能であるのと同じように、 ブロックチェーンにおいても何かしらの「忘却」が可能になる ことは考えられ、それはむしろ必要なことなのかもしれない。

大黒による、

ここにおいて暗号技術は、「公開鍵方式」の登場によって、 〈秘匿〉のテクノロジーから〈同一性〉証明のテクノロジー へと変容を遂げる。
大黒岳彦「ビットコインの社会哲学」
現代思想2017年2月号「ビットコインとブロックチェーンの思想」p.164

という指摘は、上述のブロックチェーンと個が同定される 仕組みが本質的に同じだということと繋がる。
「暗号」空間において間主観的に承認されるハッシュ値の 経歴であるブロックチェーンは個そのものと言ってもよい。
ただし、ビットコインの利用者はハッシュ値として現れる という意味では、「暗号」空間においてはイベントであり、 個と同一視されるのはブロックチェーンの方だと言うべき かもしれないが。

大黒は信用と対比させるかたちで、信頼のことを

行為の相手方の一定の反応を期待した、リスクの引き受けを伴う、 相手方に対する行為者の〈投企〉である。
同p.170

と説明する。
ハイデガーの〈投企〉に加え、ルーマンの「信頼」の概念も 取り上げているが、個人的に投機的短絡と呼んできたものは、 これらの言い換えであったように思う。
共同体における「信頼」は「人格信頼」であり、それは個に 依存していたが、共同体が社会になることで「システム信頼」 へと変化する。
人格信頼がシステム信頼になる過程は、「暴力と社会秩序」で 述べられた非属人化と同じであり、大黒が指摘するように、 システム信頼において信頼されているのがシステムではなく 権威であるからこそ、ネットワークの非属人性がアクセス開放型 社会という権威への戸口条件となるのだろう。

属人的でもなく、権威も存在しない状況で“誠実”を調達し、 「アノニム信頼」を実現する様を形容して、

「ブロックチェーン」は〈欲望〉を〈誠実〉に転換することで 「アノニム信頼」を技術的水準で産み出す「信頼」“機械”である。
同p.176

と描写している箇所はとても気に入っている。
システム信頼がアノニム信頼へと変化することで、経済だけでなく 政治や宗教、あるいは個についても、権威に依存しない秩序形態 へと移行できるだろうか。
個はそもそもブロックチェーンのような仕組みで同定されている のであれば、既に中央集権的でないのかもしれないが、人間を ある種の特別な存在と考えてしまうこと自体、何かしらの権威に 依存していることの証左とも思える。
個はシステム信頼に拠っているだろうか、アノニム信頼に 拠っているだろうか。

サイバースペース上のブロックチェーンとして実装される個は、 ハッシュ値を供給する〈環−視〉する者の欲望を原動力にして 存続する。
〈環−視〉する者の役割は、物理的身体に実装された個が担う こともできるが、果たしてそういった存在なしに、自律的に 駆動することもできるだろうか。
物理的身体に実装された個も当然同じ問題に直面しているはずだが、 もしかすると充足理由律こそが〈監視〉あるいは〈環−視〉する者 であり、その捉え方次第でシステム信頼とアノニム信頼のいずれの 形態でも存在できるのかもしれない。