子どもに接するように


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ゲンロン0」を読んだことで、ユートピア的な コミュニケーションを目指すためには、子どもに 接するのと同じように相手に接するのがよいのでは ないかという考えに至っている。
あるいは観光客に接するようにと言ってもよい。

それは決してこちらの判断基準を押し付けるという ことではなく、子どもと親の双方の判断基準が更新 し得る状況で通信を成立させるというイメージだ。

解釈、理解、判断をするにあたって、情報は必ず 有相に落とし込まれるが、発散の源である究極の 観光客としての子どもは、常に有相が無相に戻り、 別の有相として現れ得ることを思い出させる。

他でもあり得る有相を含んだ有相として無相を 抽象するのが、子どもに接するように通信する ということであり、そこにディストピアとして 回収されないユートピアの可能性を感じている。