意識と本質


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井筒俊彦「意識と本質」を読んだ。

一言に「本質」と言っても、立場によってその意図 するところは異なる。
イスラーム哲学では「本質」は「マーヒーヤ」と 「フウィーヤ」に区別される。
前者は「それは何か」という問いへの答えとして、 XをしてXたらしめるX性に対応する普遍的「本質」、 後者は「これであること」=「これ性」を意味し、 具体的なXのリアリティに対応する個体的「本質」。

いずれの「本質」も実在しないとする立場、 フウィーヤこそが実在するとする立場、 マーヒーヤこそが実在するとする立場。
マーヒーヤを実在する「本質」とする中でも、 意識のどの層で受け止めるかについて、

  1. 深層意識とする立場
  2. 1よりもさらに深層にあるとする立場
  3. 表層意識とする立場

というように、いろいろな「本質」の捉え方があり、 朱子やマラルメ(1)、密教やカッバーラー(2)、孔子や プラトン(3)を取り上げながら、マーヒーヤの捉え方に ついては詳述されている。
マーヒーヤだけでなくフウィーヤも含めて、何が 「本質」なのか、何が「実在」するのかを問うのが 意識とは何かという問いであり、あるいはむしろ、 意識そのものですらある。
どれが正解かという話は出てこないし、文脈的にも あまり意味のない話である。

むしろ積極的に、意識を超えた意識、意識でない意識も 含めた形で、意識なるものを統合的に構造化しなおそう とする努力を経てはじめて新しい東洋哲学の一部としての 意識論が基礎付けられるのであろう。
またそこにこそ東洋的意識なるものを特に東洋的意識論 として考察する意義がある、と私は思う。
井筒俊彦「意識と本質」p.101
東洋哲学一般の一大特徴は、認識主体としての意識を 表層意識だけの一重構造としないで、深層に向かって 幾重にも延びる多層構造とし、深層意識のそれらの 諸層を体験的に拓きながら、段階ごとに移り変わって いく存在風景を追っていくというところにある。
同p.316

井筒は、意識の構造モデルとして、表層意識(A)、「想像的」 イマージュの中間地帯(M)、言語アラヤ識の領域(B)、無意識(C)、 意識・存在のゼロ・ポイントからなるものを提案する(p.214)。
意識・存在のゼロ・ポイントは無相の情報、Cは物理的身体、 A〜Bは心理的身体にそれぞれ対応付けられる。
心理的身体の中でも、Bはハードウェアの役目を果たし、 意識をもった人間が集団を形成することを可能にする。
中間地帯のMは理由付けのつなぎ替え可能性を表し、 投機的短絡が生じる場所となる。
表層意識のAは理性に対応し、Mで生じた短絡の投機性が、 理由をあてがうことによって和らげられる。

言語アラヤ識は心理的身体の領域に属すが、当然Cの物理的身体の センサ特性の影響も受けると考えられ、それは人間にとっての正義 としての倫理につながる。
中間地帯Mはカッバーラーにおいては神の内部と想定されるが、 これはMの全体を表層意識Aの行う理由付けの終着点とみなすという ことであり、M自体を大いなる原因である神とみなせることを表す。
神の内部に対して物語るというのは、理由の連鎖の開始点において、 どのような縫合手術をするかということに対応している。
中間地帯Mで投機的短絡によって発散するつなぎ方のうち、 他の心理的身体との通信でコンセンサスが成立したつなぎ方が 表層意識Aにのぼり、現実と呼ばれるようになる。
そのときのコンセンサスの名残りが理由である。

理由とは、コンセンサスの名残である。
An At a NOA 2016-11-15 “理由

サルトルの言う「嘔吐」は、人間がコンセンサスの名残りを欲し、 無意味に耐えられないために起こり、それを回避するために人間は 不確定性にさえ理由付けする
元々充足理由律は表層意識Aだけに適用されていたかもしれないが、 大いなる原因である神が死んだ世界においては、中間地帯Mがあばかれ、 そこにも充足理由律が侵入する。
本来は網状に絡まっていた中間地帯Mにも充足理由律を適用することで、 それを一本の連鎖として想定しようとするのが、充足理由律に従って 突き進む近代以降の世界観である。

以上のようなこともまた一つの物語であり、それが正解なのかという こととは関係なく、物語ること自体が意識なのだと思う。
充足理由律がなければ物語ることもできないのかもしれないが、 充足理由律によって意識・存在のゼロ・ポイントまでが一直線に つなげられてしまったら、物語ることはできなくなり、ユートピア= ディストピアが訪れる。
そのせめぎ合いの中で、人間は、あるいは意識は、バランスを崩さずに いられるだろうか。

人間はどこまで充足理由律を緩めることができるだろうか。
An At a NOA 2017-5-10 “比較可能律あるいは樹状律と充足理由律