胎児の世界


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三木成夫「胎児の世界」を読んだ。

あとがきに、

胎児の世界というものは、こうして見ると、わたしたちの たれもが多かれ少なかれもっているそうした左脳の世界 とは本質的に相容れぬ運命を担ったものであることが うかがわれる。
三木成夫「胎児の世界」p.222

とあるように、ひたすら理由付けに邁進する自然科学とは 異なる観点を提示する。
機械論のはびこる左脳の世界では、ともすれば疑似科学や 似非科学と切り捨てられてしまうかもしれないが、そこには 「おもかげ」、「こころ」、「リズム」といった、意味付けに うったえるものがあることで、「多孔性の科学」と呼ばれる に足る何かがあるようにも思う。

「個体発生は系統発生を繰り返す」というヘッケルの思想を ベースに、ニワトリや人間の胎児の発生を追っていくところを 見ると、得も言われぬ気持ちになる。
図20や図21の胎児の顔にあるおもかげ。
理由付けによって語ることでは伝わりきらない部分を、 意味付けによって示すところに多孔性があるのかもしれない。

多孔性はまた、「ゲンロン5」で幽霊的と呼ばれたものにも通ずる。

懐かしさというものは「いまのここ」に「かつてのかなた」が 二重映しになったときにごく自然に湧き起こってくる感情であろう。
同p.16

歌舞伎の名跡や型も、そのような「懐かしさ」から立ち上がる 幽霊的身体を呼び込んでいる。
発生の様子も、

そこでは、細々とした現実の所作はしだいに省略され、ただ全体の 流れを示す“かたち”だけが象徴的に演じられる。
まさに能の世界であろう。
同p.134

と描写される。
「いまのここ」としてしか語ることのできない自然科学に対して、 「かつてのかなた」を同時に示すことで現れる幽霊的身体が、 多孔性と呼ばれるものになるのだろう。

個体発生という「食の相」から「性の相」への位相交替を 視野に入れながら、

すべて生物現象には“波”がある。
同p.176

という宣言に続いて、クラーゲスを参照しつつ、機械論的な 反復とは異なる、リズムの本質へと話は展開する。
母胎という海の中で聴いた、いのちの波を始めとして、 生命は大小さまざまな搏動とともにあった。

「ココロ」とは、したがって、この心搏に象徴される 「リズム」そのものであることがうかがわれる。
同p.214

搏動をリズムとして捉えるところに、人間らしさがある というのは、面白い指摘だと思う。

あらゆる搏動に構造を見出し、リズムとして抽象する。
「かつてのかなた」の搏動が、「いまのここ」の搏動に 重なる懐かしさ。
それを憶えるのは人間だけなのかもしれない。

――海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。
そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。
三好達治「郷愁」